「 -Dの意志- 」 2009年10月15日~10月18日
早朝4時になんか佇むインド人 なんかどこでもよく見る謎の光景
もうそんなに街から街への移動もないんだしさぁ、最後の数回くらい楽なバス移動でいいじゃない?
インディアぁぁぁ・・・・
マナリーからさ、ダラムサラまでバスで12時間くらいって聞いてたのよ。
早ければ10時間程で着くって。
だからさ、夕刻18時発のダラムサラ経由ジャンムー行きのバスに乗ったんだよ。
到着時間がなんだか朝早すぎることもないけどそれなりに早い、けどいっかと思ってさ・・・・
シートも倒れない寝にくいローカルバスの中でうつらうつら寝てたら起こされた。
「 ダラムサラー、ダラムサラー 」
・・・・ん?
着いたんか、さて。
・・・・ん??
ここどこだ?
「 お前ダラムサラまでか? なら、ここで降りるんだ。 」
バスを降り、 バックパック、 を、 受け、 取り、 暗闇の中、 立ち尽くす。
バス、 走り去る・・・・
目の前、真っ暗闇の中。
高速道路の入り口、しか見えない。
しかも、 午前、 2時、 ちょい、 過ぎ!?
はぁ~!? 2時???
ナニソレ リカイフノウ リカイフノウ リカイフノウ
バスはカシミール方面にあるジャンムー行きのバスだった。
ココがダラムサラだというソコで途中下車したのは、俺とドイツ人とインド人の3人だけだった。
無造作に取り残された我ら3人、深夜の人気の無い幹線道路沿い。
…何故か道路の傍らにスズキの乗り合いタクシーがエンジンを吹かしたままに1台だけ停まってる。
運転手は言った。
「 ここからロウワー・ダラムサラのバス停まではフリーだ。 今お前らが乗ってきたバスとそういう契約を結んでいる。 しかしアッパー・ダラムサラまで行くのなら一人100ルピーが必要だ。 ちなみにロウワーからアッパー行きのバスの始発は6時半だ。 」
ダラムサラ行きのチケットをマナリーで買った時安いと思ったんだよ。
他より100ルピーも安かったんだ。
ダラムサラには2つの町があって下界の方の町がロウワー・ダラムサラで一般的な市民の町。
そこから10kmも離れ、標高も700m上がった山の上にある町がアッパー・ダラムサラ。
いわゆるダライラマのおうちがあって世界中から観光客や仏教徒が訪れる町、通称マクロードガンジだ。
バスのチケットを買った時、上と下のどっちに着くのか聞いたらロウワーだと言った。
そこからバスに乗ってマクロードガンジまで行く手間がある分安いのだとその時は納得した。
しかし、ロウワー・ダラムサラまでも辿り着けていないとは思いもしなかった。
さらに驚きは、今が午前2時とはな・・・・
ひとまず3人で乗合いタクシーに乗り込むと、インド人のおっさんは自宅付近まで走らせひとり降りた。
俺とドイツ人はなすすべもなく一人100ルピーずつ払い、そのままマクロードガンジの安宿までタクシーを走らせた。
なんだかんだでマクロードガンジに午前3時に到着だ。
こんな時間なんで当然だが、戒厳令が敷かれたような静けさだ。
乏しい電灯以外灯りは無く、シャッターの下りた店舗で埋め尽くされた町にひとっこひとりいないのは不気味ですらある。
命あるものはさっきからこっちに睨みを利かせながらそこらを走り回っている野良犬共の群れだけだ。
こんな状況だ、まぁ当然だろうな。
安宿のドアをいくらノックしようが声を掛けようが誰も起きて来やしねえ。
次の安宿も、その次のゲストハウスも、そのまた次のホテルも深い眠りに着いたまんまだよ。
何軒回った?
手当たり次第。
1時間後の午前4時、10軒ほど回り2軒は従業員も顔出したのだが、「 フル 」の一言だ。
無理っしょ? いまさら泊まんの。
諦めてもうちょい朝まで待とうぜ?
しかしドイツ人は言う。
「 俺はものすごく眠い。 バスが一番後ろの席だったもんだからジャンピングしまくってて一睡も出来なかったんだ。 早く… ベッドで眠りたいんだ! 」
と。
よし、なるほど。
じゃ、お前は探せ。
俺は小一時間このシャッターの前で仮眠する。
電気も煌々と点いてるし、こんな早くから何かの順番待ちをしてる謎のインド人も数人そこにいるし、群れに属さない孤高の野良犬が1匹、俺の隣で丸くなって眠ったからな。
番犬付きだ、最早熟睡しても安全だろう。
がんばれ、ドイツ人!
またどっかで会うだろ。
時が過ぎ、ようやく5時半。
他の早朝組のバスも着いたのか、バックパックを背負った旅行者が何人も行ったり来たりしてる。
みんな部屋探しに苦労しているようだった。
そろそろ俺も動き出すか。
うろうろしてると町が明らかに目覚め始めてきたので、最初からもう一度1軒1軒当たって行った。
フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル ・・・・・・・・・・・・・・・・・
7時20分・・・・
ようやく1軒のゲストハウスにチェックインすることが出来た。
部屋確保に何時間かかっとんねん。
「 今日から4日間、ダライラマのティーチングがあります。 その後2日空けてまた4日間ダライラマのティーチングがあります。 だからでしょうね、どこのホテルも満室なのは。 」
なるへそ。
てか本気? 見れんの? 見れちゃうの14世!?
今から行ったら会えんの!
あのおっちゃんに!?
愛すべき現世の平和主義者
9時半から始まるなら寝てる場合じゃないでしょ。
まさかに会えるとは思ってもみなかったし、謁見のスケジュールも知らなかったからなぁ。
モシ ダラムサラ 二 イルトキ ニ ホウオウサン ソコ オッタラ マジ ラッキー アエタラ サラニ ラキー
くらいにしか考えてなかったからな。
忙しいお人だから世界中飛び回ってんだろうし、まさかここホームタウンにいるとは思わなかったんで急にテンション上がったよ、別に寝不足だからという訳じゃなく・・・・
4日間、毎日午前の部は参加しました、ダライラマ・ティーチング。
午後はダラムサラの町観光にあてて。
この建物の奥にあの方がおわしまする
マクロードガンジにあるナムギャル寺というチベット寺院内でティーチングは行われます。
ダライラマ14世は2階の本堂内にて教義を行います。
そして謁見パスをあらかじめ取得してる人はその2階本堂内に入れ、本人を目の前にティーチングを受けることが出来るのです。
それ以外の人は寺院の中庭のような広間に座り、TVの大画面を通じてティーチングを受ける事になります。
俺は結局謁見パスはすでに遅しで取得出来ず。
8日間分すべてソールドアウトだそうです。
なのでずっと下の広間で大画面を眺めながらティーチングを聞いていました。
ちなみにラジオを持っていると日本語同時通訳が聞けるのです!
話は理解可能ですが、内容がいまいち難しく、おまけに周波数も合わせずらく・・・・
ピィーーーー グルルルルッル ピィーー ピギャーーーー 全ての事象は空なので ピィー
ピャーーーァーー アァンニューーハセヨ ゴゴッブツン
4日間、これが結構ストレスでした。
10時には休憩を兼ねてバター茶が配られたり、お昼にはカレーが無料で配られたりと、おもてなしも最高です。
敷地内で売っているランチパックも美味でした。
しかしなによりダライラマの気さくさに親近感を感じずにはいられません。
この人、必ず笑いを取るのです。
言葉での笑いは元より、その行動によってもおふざけな態度で笑いを取るのです。
言葉はどうも同時通訳のためタイムラグがありますが、ジェスチャーの方は見てればすぐ分かるので、万国万民一緒になって笑えるのです。
4日間観てて思ったのは、ダライラマ14世はものすごい大家族の長で、それは夜叉孫が1000人近くもいるくらいの大家族の長なのではないか?
という事でした。
その親戚縁者一同が、お正月におじいちゃんの家に総出で遊びに来ているようです。
子々孫々に囲まれながら、
「 これじゃあ、おじいちゃんお年玉あげるだけで破産しちゃうよ~ 」
とあの笑顔でニコニコしながら、うれしそうに言っているように聞こえるのでした。
観音様の生まれ変わりであり生き仏、チベット仏教の頂点であり大国中国を相手に喧嘩する男、世界中を駆け巡り、誰にも毒されずに信じる教えを広めてく伝道者。
顔とか立場しか知らないし、とにかく凄まじい人生をいまだに送っているノーベル平和賞の人。
という認識しかなかったので、偉そうな疲れてそうな素っ気ない人かと思ってたらものすごいフレンドリーな柔和な好人物で大変好感を持ちました。
尊敬や畏敬の念、年長者を慕うとかいう感情とは違う、ただ単純に
「 あぁー。 俺、このおっちゃん好きだわ。 」
と。
チベットを取り戻せ! と。
チベットの土産物屋が至る所に露店を出す
インドの中の特別地区 チベット若僧よ未来を掴め
インド三大祭りのひとつに、「ディワリー」というラクシュミー神を祭るお祭りがある。
商売繁盛などを願う、別名・光の祭り。
それがマクロードガンジ滞在3日目に盛大に行われた。
一大商店街&参道となっているこの町ではお店の軒先に灯明を灯し、ラクシュミーを讃えている。
インド全国で行われる規模の相当に大きなお祭りだ。
光の祭りと言えば静かな揺れる炎っぽく穏かなイメージで聞こえはいいが、チベット亡命政府がありチベタン率の高いこのダラムサラでさえ、ここはインドなのだと思わせる祭りだ。
解釈がインド人らしいというか、インドはどこまでもインドだったと思わせたのがこの三大祭りの一つ・ディワリーだった。
光・祭り=明るい=いっぱい明るい方がいい=派手な方が祭り=爆竹&花火
ホテルの部屋から望む町の中心広場
俺の泊まってる宿は町のメインスクエアの真ん前。
一番広くていちばん人が集まりイチバン注目度があるのがこのメインスクエア。
夕方6時くらいから夜の11時過ぎまで、人がいようが車が通ろうがバイクが走ろうがパトカーが巡回に来ようが、ひっきりなしに破裂する爆竹、爆竹、爆竹ガール。
小学生の子供から10代20代の若者まで、手に手にいくつものロケット花火を持ち、ダンボールに入った市販の30連発くらいの連続打ち上げ花火、重機関銃の連射用銃弾装を引っ張り出してきたような連龍爆竹、そこが老人ホームならショック死多数確実なかんしゃく玉、噴水のごとく炎を吹き上げる設置型の花火。
さあ カオスを始めよう
とにかく火薬の量が120%日本の規格外
祭りという名がついてるが 軽いテロル
1分の間も空かずそれらがメインスクエアで破裂し、爆音を立て、光と煙を大量流出させる。
それをまた轟音がかき消し新たな火遊びが止まる事なくこうやって延々に繰り返されるのだ。
もうみんな、チベタンも観光客もインド人も仏教僧もおかあちゃんもおこちゃまも犬ですら夢中だった。
お祭りだけに許される特権、無礼講。
平気で2、3階建てのビルの高さを越える…
た~まや~~ からのぉ
爆音・爆発音!! 近い近い
こんなんが 延々続くのだ…
こんな小さな町でこの規模なのだから、他のインドの町でのディワリーはいったいどうなってたんだろうと想像すると共に、あぁこの規模でこの町にいて助かったという安堵感も生まれていた。
つーか、うるせーよ・・・・
どれもこれも日本の規格外の火薬の量が入っているのは大きさと音を聞けば一目瞭然だ。
花火自体の大きさとしてはコンビニで売ってる打ち上げ花火と同じくらいなんだがな
設置型の花火が横倒しに倒れた。
その、花火があがる先端が俺とは反対方向を向いていたので安心していきさつを眺めていると、
シュバッ!!
と炎が出た途端、ロケットミサイルが発射されたように一瞬でこっちにめがけて筒ごと丸ごとすっ飛んできた。
避ける間も無い。
ドカン
という音とともに、俺の2メートル横のレストランの今日のお奨めメニューが書かれた木製の看板の足部分が木っ端微塵になった。
一瞬でその看板に目を向けたが、すでに火のついた看板の木片や花火の残り火が四方に飛び散り、その余波は爆風に乗って俺のところにまで及んだ。
アッ、危ネエ・・・・
俺自身は危機一髪で、それこそ看板以外に破損被害はなかったものの、戦闘中の生と死の分かれ道と言うのはこういう事なんだな、と妙に実感した瞬間だった。
だがもちろん!
無残な看板を見て当事者のインド人の若者も周囲の野次馬も全員大爆笑だ。
一人として看板の心配も、誰も怪我しなくて良かっただのは考えない。
いや、そう考えるより先に面白い出来事、という認識が全員一致=大爆笑につながった。
そしてその後、少しでも猶予があれば先の心配もするのだろうが、そうこうしてる内に次々と花火は高々くけたたましい音を立てて夜の街を明るく変えると、みんなもうそっちに夢中になっているのであった。
いつでも逃げる準備は必要だ
全ての事柄において絶対に日本人はインド人には勝てないのだな、と確信した。
チベット語のなんまいだ 「オムマニペメフム」
ダラムサラ、ダライラマ、ディワリー。
俺の今旅 「 インド道 」 最後の来訪地は、インドにありながらインドとはまた違った雰囲気を感じるチベット亡命政府の町・ダラムサラとなった。
街中チベタン寺院
チベットと言えば↑ 回せば回すほどありがたい
見た目はチベット 中身はインドな ダラムサラ
この町で少しチベタン料理でも食べつつ、東洋人の顔を見慣れつつ、すぐそこにある帰国に際し良きリハビリの地となるだろうと思ってやってきた。
そこでゆっくり旅の回想でもしようかと。
だがそこに待ち受けてたのは・・・・
気さくな活力聖人・ダライラマ14世。
そしてやる事成す事インド思考の光の祭り・・・・
ハッピーディワリー。
インドに退屈な街などナッシング
もう5ヶ月もこのインド亜大陸をくまなく歩き回って来てるのに、最後の最後まで全く飽きさせる事がない。
こんなにいるのにまだ初めて目にする出来事があるのか、お前は。
どんだけ引き出しが多いんだか、懐がでかいんだか。
それともな、
元々が空っぽだから”生む”事しか出来ないのだろうか。
ブラックホールの抜けた先がインドだとしたら、別に何の不思議も無い、納得のゆく話ではある。
From Naokys!
「あと数回でインド道終了みたいよ!」 「ふん、あたしゃ信じないよ!!」
※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。
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