ぶらっと、旅る。 

   人生の半分を夏休みに捧げたいアラフォーバックパッカー・ナオキーズ!(The naokys!)  過去に辿った一人旅を焼き増ししたり、これから行くであろう冒険浪漫な旅路をドドドッと書き綴る狂い咲き旅日記

          ~  The naokys! presents  俺旅  ~

2015年08月

 『 インド道 31th 』


             「 -Dの意志- 」   2009年10月15日~10月18日


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               早朝4時になんか佇むインド人 なんかどこでもよく見る謎の光景


 もうそんなに街から街への移動もないんだしさぁ、最後の数回くらい楽なバス移動でいいじゃない?

 インディアぁぁぁ・・・・


 マナリーからさ、ダラムサラまでバスで12時間くらいって聞いてたのよ。

 早ければ10時間程で着くって。

 だからさ、夕刻18時発のダラムサラ経由ジャンムー行きのバスに乗ったんだよ。

 到着時間がなんだか朝早すぎることもないけどそれなりに早い、けどいっかと思ってさ・・・・


 シートも倒れない寝にくいローカルバスの中でうつらうつら寝てたら起こされた。


 「 ダラムサラー、ダラムサラー 」

 
 ・・・・ん?

 着いたんか、さて。


 ・・・・ん??

 ここどこだ?



 「 お前ダラムサラまでか? なら、ここで降りるんだ。 」



 バスを降り、 バックパック、 を、 受け、 取り、 暗闇の中、 立ち尽くす。

 バス、 走り去る・・・・


 目の前、真っ暗闇の中。

 高速道路の入り口、しか見えない。


 しかも、 午前、 2時、 ちょい、 過ぎ!?

 はぁ~!? 2時???


 ナニソレ リカイフノウ リカイフノウ リカイフノウ




 バスはカシミール方面にあるジャンムー行きのバスだった。

 ココがダラムサラだというソコで途中下車したのは、俺とドイツ人とインド人の3人だけだった。

 無造作に取り残された我ら3人、深夜の人気の無い幹線道路沿い。

 …何故か道路の傍らにスズキの乗り合いタクシーがエンジンを吹かしたままに1台だけ停まってる。 


 運転手は言った。

 「 ここからロウワー・ダラムサラのバス停まではフリーだ。 今お前らが乗ってきたバスとそういう契約を結んでいる。 しかしアッパー・ダラムサラまで行くのなら一人100ルピーが必要だ。 ちなみにロウワーからアッパー行きのバスの始発は6時半だ。 」
 

 ダラムサラ行きのチケットをマナリーで買った時安いと思ったんだよ。

 他より100ルピーも安かったんだ。

 ダラムサラには2つの町があって下界の方の町がロウワー・ダラムサラで一般的な市民の町。

 そこから10kmも離れ、標高も700m上がった山の上にある町がアッパー・ダラムサラ。

 いわゆるダライラマのおうちがあって世界中から観光客や仏教徒が訪れる町、通称マクロードガンジだ。


 バスのチケットを買った時、上と下のどっちに着くのか聞いたらロウワーだと言った。

 そこからバスに乗ってマクロードガンジまで行く手間がある分安いのだとその時は納得した。

 しかし、ロウワー・ダラムサラまでも辿り着けていないとは思いもしなかった。

 さらに驚きは、今が午前2時とはな・・・・



 ひとまず3人で乗合いタクシーに乗り込むと、インド人のおっさんは自宅付近まで走らせひとり降りた。

 俺とドイツ人はなすすべもなく一人100ルピーずつ払い、そのままマクロードガンジの安宿までタクシーを走らせた。
 

 なんだかんだでマクロードガンジに午前3時に到着だ。

 こんな時間なんで当然だが、戒厳令が敷かれたような静けさだ。

 乏しい電灯以外灯りは無く、シャッターの下りた店舗で埋め尽くされた町にひとっこひとりいないのは不気味ですらある。
 
 命あるものはさっきからこっちに睨みを利かせながらそこらを走り回っている野良犬共の群れだけだ。


 こんな状況だ、まぁ当然だろうな。

 安宿のドアをいくらノックしようが声を掛けようが誰も起きて来やしねえ。

 次の安宿も、その次のゲストハウスも、そのまた次のホテルも深い眠りに着いたまんまだよ。


 何軒回った?

 手当たり次第。

 

 1時間後の午前4時、10軒ほど回り2軒は従業員も顔出したのだが、「 フル 」の一言だ。

 無理っしょ? いまさら泊まんの。

 諦めてもうちょい朝まで待とうぜ?

 しかしドイツ人は言う。

 「 俺はものすごく眠い。 バスが一番後ろの席だったもんだからジャンピングしまくってて一睡も出来なかったんだ。 早く… ベッドで眠りたいんだ! 」

 と。



 よし、なるほど。

 じゃ、お前は探せ。

 俺は小一時間このシャッターの前で仮眠する。

 電気も煌々と点いてるし、こんな早くから何かの順番待ちをしてる謎のインド人も数人そこにいるし、群れに属さない孤高の野良犬が1匹、俺の隣で丸くなって眠ったからな。

 番犬付きだ、最早熟睡しても安全だろう。
 
 がんばれ、ドイツ人!

 またどっかで会うだろ。



 時が過ぎ、ようやく5時半。

 他の早朝組のバスも着いたのか、バックパックを背負った旅行者が何人も行ったり来たりしてる。

 みんな部屋探しに苦労しているようだった。

 そろそろ俺も動き出すか。

 うろうろしてると町が明らかに目覚め始めてきたので、最初からもう一度1軒1軒当たって行った。



 フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル ・・・・・・・・・・・・・・・・・



 7時20分・・・・ 

 ようやく1軒のゲストハウスにチェックインすることが出来た。

 部屋確保に何時間かかっとんねん。



 「 今日から4日間、ダライラマのティーチングがあります。 その後2日空けてまた4日間ダライラマのティーチングがあります。 だからでしょうね、どこのホテルも満室なのは。 」

 
 なるへそ。


 てか本気? 見れんの? 見れちゃうの14世!?

 今から行ったら会えんの!

 あのおっちゃんに!?

ダライラマ14世

                       愛すべき現世の平和主義者


 9時半から始まるなら寝てる場合じゃないでしょ。

 まさかに会えるとは思ってもみなかったし、謁見のスケジュールも知らなかったからなぁ。


 モシ ダラムサラ 二 イルトキ ニ ホウオウサン ソコ オッタラ マジ ラッキー アエタラ サラニ ラキー
 

 くらいにしか考えてなかったからな。

 忙しいお人だから世界中飛び回ってんだろうし、まさかここホームタウンにいるとは思わなかったんで急にテンション上がったよ、別に寝不足だからという訳じゃなく・・・・


 4日間、毎日午前の部は参加しました、ダライラマ・ティーチング。

 午後はダラムサラの町観光にあてて。

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               この建物の奥にあの方がおわしまする


 マクロードガンジにあるナムギャル寺というチベット寺院内でティーチングは行われます。

 ダライラマ14世は2階の本堂内にて教義を行います。

 そして謁見パスをあらかじめ取得してる人はその2階本堂内に入れ、本人を目の前にティーチングを受けることが出来るのです。

 それ以外の人は寺院の中庭のような広間に座り、TVの大画面を通じてティーチングを受ける事になります。

 俺は結局謁見パスはすでに遅しで取得出来ず。

 8日間分すべてソールドアウトだそうです。

 なのでずっと下の広間で大画面を眺めながらティーチングを聞いていました。

 ちなみにラジオを持っていると日本語同時通訳が聞けるのです!

 話は理解可能ですが、内容がいまいち難しく、おまけに周波数も合わせずらく・・・・

  ピィーーーー グルルルルッル ピィーー ピギャーーーー 全ての事象は空なので ピィー 

  ピャーーーァーー アァンニューーハセヨ ゴゴッブツン

 4日間、これが結構ストレスでした。

 10時には休憩を兼ねてバター茶が配られたり、お昼にはカレーが無料で配られたりと、おもてなしも最高です。

 敷地内で売っているランチパックも美味でした。
 
 しかしなによりダライラマの気さくさに親近感を感じずにはいられません。

 この人、必ず笑いを取るのです。

 言葉での笑いは元より、その行動によってもおふざけな態度で笑いを取るのです。

 言葉はどうも同時通訳のためタイムラグがありますが、ジェスチャーの方は見てればすぐ分かるので、万国万民一緒になって笑えるのです。

 4日間観てて思ったのは、ダライラマ14世はものすごい大家族の長で、それは夜叉孫が1000人近くもいるくらいの大家族の長なのではないか?

 という事でした。

 その親戚縁者一同が、お正月におじいちゃんの家に総出で遊びに来ているようです。

 子々孫々に囲まれながら、

 「 これじゃあ、おじいちゃんお年玉あげるだけで破産しちゃうよ~ 」

 とあの笑顔でニコニコしながら、うれしそうに言っているように聞こえるのでした。



 観音様の生まれ変わりであり生き仏、チベット仏教の頂点であり大国中国を相手に喧嘩する男、世界中を駆け巡り、誰にも毒されずに信じる教えを広めてく伝道者。


 顔とか立場しか知らないし、とにかく凄まじい人生をいまだに送っているノーベル平和賞の人。

 という認識しかなかったので、偉そうな疲れてそうな素っ気ない人かと思ってたらものすごいフレンドリーな柔和な好人物で大変好感を持ちました。

 尊敬や畏敬の念、年長者を慕うとかいう感情とは違う、ただ単純に

 「 あぁー。 俺、このおっちゃん好きだわ。 」

 と。


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               チベットを取り戻せ! と。

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               チベットの土産物屋が至る所に露店を出す

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               インドの中の特別地区 チベット若僧よ未来を掴め



 インド三大祭りのひとつに、「ディワリー」というラクシュミー神を祭るお祭りがある。

 商売繁盛などを願う、別名・光の祭り。

 それがマクロードガンジ滞在3日目に盛大に行われた。


 一大商店街&参道となっているこの町ではお店の軒先に灯明を灯し、ラクシュミーを讃えている。

 インド全国で行われる規模の相当に大きなお祭りだ。

 光の祭りと言えば静かな揺れる炎っぽく穏かなイメージで聞こえはいいが、チベット亡命政府がありチベタン率の高いこのダラムサラでさえ、ここはインドなのだと思わせる祭りだ。

 解釈がインド人らしいというか、インドはどこまでもインドだったと思わせたのがこの三大祭りの一つ・ディワリーだった。


 光・祭り=明るい=いっぱい明るい方がいい=派手な方が祭り=爆竹&花火


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              ホテルの部屋から望む町の中心広場


 俺の泊まってる宿は町のメインスクエアの真ん前。

 一番広くていちばん人が集まりイチバン注目度があるのがこのメインスクエア。

 夕方6時くらいから夜の11時過ぎまで、人がいようが車が通ろうがバイクが走ろうがパトカーが巡回に来ようが、ひっきりなしに破裂する爆竹、爆竹、爆竹ガール。

 小学生の子供から10代20代の若者まで、手に手にいくつものロケット花火を持ち、ダンボールに入った市販の30連発くらいの連続打ち上げ花火、重機関銃の連射用銃弾装を引っ張り出してきたような連龍爆竹、そこが老人ホームならショック死多数確実なかんしゃく玉、噴水のごとく炎を吹き上げる設置型の花火。

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                       さあ カオスを始めよう

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                とにかく火薬の量が120%日本の規格外

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               祭りという名がついてるが 軽いテロル

 1分の間も空かずそれらがメインスクエアで破裂し、爆音を立て、光と煙を大量流出させる。

 それをまた轟音がかき消し新たな火遊びが止まる事なくこうやって延々に繰り返されるのだ。

 もうみんな、チベタンも観光客もインド人も仏教僧もおかあちゃんもおこちゃまも犬ですら夢中だった。


 お祭りだけに許される特権、無礼講。



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                平気で2、3階建てのビルの高さを越える…

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               た~まや~~   からのぉ

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               爆音・爆発音!!  近い近い

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                こんなんが 延々続くのだ…


 こんな小さな町でこの規模なのだから、他のインドの町でのディワリーはいったいどうなってたんだろうと想像すると共に、あぁこの規模でこの町にいて助かったという安堵感も生まれていた。
 
 つーか、うるせーよ・・・・

 どれもこれも日本の規格外の火薬の量が入っているのは大きさと音を聞けば一目瞭然だ。


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     花火自体の大きさとしてはコンビニで売ってる打ち上げ花火と同じくらいなんだがな


 設置型の花火が横倒しに倒れた。

 その、花火があがる先端が俺とは反対方向を向いていたので安心していきさつを眺めていると、


 シュバッ!!


 と炎が出た途端、ロケットミサイルが発射されたように一瞬でこっちにめがけて筒ごと丸ごとすっ飛んできた。

 避ける間も無い。


 ドカン


 という音とともに、俺の2メートル横のレストランの今日のお奨めメニューが書かれた木製の看板の足部分が木っ端微塵になった。

 一瞬でその看板に目を向けたが、すでに火のついた看板の木片や花火の残り火が四方に飛び散り、その余波は爆風に乗って俺のところにまで及んだ。
 


 アッ、危ネエ・・・・


 俺自身は危機一髪で、それこそ看板以外に破損被害はなかったものの、戦闘中の生と死の分かれ道と言うのはこういう事なんだな、と妙に実感した瞬間だった。

 
 だがもちろん!

 無残な看板を見て当事者のインド人の若者も周囲の野次馬も全員大爆笑だ。


 一人として看板の心配も、誰も怪我しなくて良かっただのは考えない。

 いや、そう考えるより先に面白い出来事、という認識が全員一致=大爆笑につながった。


 そしてその後、少しでも猶予があれば先の心配もするのだろうが、そうこうしてる内に次々と花火は高々くけたたましい音を立てて夜の街を明るく変えると、みんなもうそっちに夢中になっているのであった。

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               いつでも逃げる準備は必要だ

 全ての事柄において絶対に日本人はインド人には勝てないのだな、と確信した。


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              チベット語のなんまいだ 「オムマニペメフム」


 ダラムサラ、ダライラマ、ディワリー。
 

 俺の今旅 「 インド道 」 最後の来訪地は、インドにありながらインドとはまた違った雰囲気を感じるチベット亡命政府の町・ダラムサラとなった。

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                   街中チベタン寺院 

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               チベットと言えば↑ 回せば回すほどありがたい

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               見た目はチベット 中身はインドな ダラムサラ
 

 この町で少しチベタン料理でも食べつつ、東洋人の顔を見慣れつつ、すぐそこにある帰国に際し良きリハビリの地となるだろうと思ってやってきた。

 そこでゆっくり旅の回想でもしようかと。


 だがそこに待ち受けてたのは・・・・

 気さくな活力聖人・ダライラマ14世。
   

 そしてやる事成す事インド思考の光の祭り・・・・

 ハッピーディワリー。


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               インドに退屈な街などナッシング

 

 もう5ヶ月もこのインド亜大陸をくまなく歩き回って来てるのに、最後の最後まで全く飽きさせる事がない。

 こんなにいるのにまだ初めて目にする出来事があるのか、お前は。

 どんだけ引き出しが多いんだか、懐がでかいんだか。


 それともな、

 元々が空っぽだから”生む”事しか出来ないのだろうか。



 ブラックホールの抜けた先がインドだとしたら、別に何の不思議も無い、納得のゆく話ではある。


                                               From Naokys!

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          「あと数回でインド道終了みたいよ!」 「ふん、あたしゃ信じないよ!!」  


                                                 

 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。


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 『 インド道 30th 』



         「 レッツ・ヴァシスト 」 2009年9月24日~10月14日


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 早朝5時半。


 まだ仄暗い下界は吐く息も白い静かな冷気を纏い、寝呆けた身体を覚醒させる。

 顔を上げた目の前にはヒマラヤ山系の頂がわずかだが白く染まっているのが見える。

 空はようやく闇から淡青へと変わったところだ。



 ここはヒマーチャル・プラディシュ州・オールドマナリータウン。

 標高1900mのインド大陸北方の地、ヒマラヤ山脈やチベット高原がすぐそこにある谷あいの街にやってきた。


 バックパックを背負いゆっくりと歩を進める。

 左手にビアーズ川を眺め、V字谷に沿う車道をカシュミール方面へ緩やかに坂が上る。

 今、歩いて向かっている先はマナリーから3km程先にある村、その名もヴァシストだ。


 ようやく朝陽が出てきたのだろうか、眼前に聳える白雪の頂が太陽に晒され、山頂付近から順にオレンジ色の光を輝かせる神秘的な朝景色を贈ってくれている。

 路肩に無造作に生い茂る雑草の3割は大麻草という驚くべき光景に戦慄を覚えたが、雄花・雌花を咲かせ茂っているのを見ると、この辺りでは大自然の中のただの雑草に過ぎないという認識なのだろう。


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 避暑地シムラーから9時間かけてバスが着いたマナリーの朝はまだ早く、そのままリキシャーに乗り早々ヴァシスト村に着いたとしても、こんな朝早く宿など到底開いてないだろうからと思い、村まで2、3km程度ならゆっくり歩くか、と歩み始めたのだ。

 だがそれは無謀であった。

 まったく持って上り坂しかなく、ヴァシスト村に上がって行く道を全荷物担いで上がるには、俺は幾分歳を取り過ぎていた。
 

 がんばった。

 ただただ美しい朝の景色だけを見つめ、歩いているという行為を思い出さないようにして進む。

 1時間と少しの、最早トレッキングと呼べる疲労感を感じたがどうにか踏破しヴァシスト村に到着した。

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 ヴァシストは、硫黄泉が山腹から湧き出す温泉の村として、つとに有名である。
 
 しかしチベットに近いとは言えここもインド。

 温泉はヒンドゥー寺院の一端として奉られている。

 そのヒンドゥー寺院の中に、男湯・女湯が完備されていて、朝5時半頃から夜の9時近くまで誰でも自由に入浴を楽しむことが出来るのだ。

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 テンプル温泉は四方を石垣で囲んではあるが、屋根が無いのでとても開放感がある露天風呂。

 石壁は苔むし隙間からは雑草が所々に生えている。

 東側の壁には神様の祠があり、そこから硫黄泉が流れ込んでいるのだ。

 それはアンコールワットとかにありそうな遺跡の雰囲気で、侵食され忘れ去られた遺跡の中の温泉に浸かっているかのようで気分が良い。


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 もう一つ、温泉寺院のすぐ上にアウトドアな温泉がある。

 ここは小さな銭湯のようになっているのだが、白い柵で囲われているだけなので周りからは丸見え。

 子供以外全裸禁止で、男湯専用だ。

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 はっきり言うと温泉のお湯は汚い。

 湯の花だろうと思われる白い浮遊物が大半だが、それ以外にも苔だとかの自然のものから、石鹸カスやら垢やら髪の毛やらの人工物までが自由に浮き沈みしている。

 湯は腰辺りまであるのだが、足元が見えない。

 そしてなるべくそれらを見ないよう、気づかないようにしていた。

 初日は、この湯に入るのか!? この液体の中に浸かるのか!? と何度も躊躇したが、疲れと辿り着いた安堵感で早く温泉に浸りたかった俺は意を決して足を滑り込ませた。

 
 めたくそ熱い。

 皮膚がぴりぴりする熱さだ。

 5分入ったら全身火傷をするのではないだろうかと勘ぐるほど熱かったのだ。


 それも仕方のない事だろう。

 今回の旅においてホットシャワーは何度か宿で浴びたが、それにしても4ヶ月ぶりになる湯船に浸かる熱い風呂なのだ。


 お湯に肩まで浸かる感覚を久しぶりに思い出し、お湯の熱さも久しぶりに思い出した。


 好きな時に好きなだけ、気が済むまでお好きにどうぞ。



 贅沢にも朝はアウトドア温泉で絶景の山々を眺めながらの入浴後、そのままテンプル温泉に移り今度は遺跡の雰囲気が漂うなんとも神秘的な湯に浸かる。

 1日遊んだら夕方か夜にテンプル温泉に再度浸かる。

 まだ明るければ頭上には青空が見られ、陽が沈んだ後は頭上に星が瞬いている。

 全く贅沢な事に、朝晩と1日2回通っていた温泉もそのうち1日1回になり、さらに贅沢な事に、面倒臭いからという理由で温泉へ行かない日まで出てくる始末だ。


 だがやはり日本人の血が温泉を求めてるのだろうか、それはとても気持ちの良いものに他ならないのだ。


 湯が熱いので長くは入らない。

 ちょっと浸かって一旦外で体を冷やす。

 そして冷えすぎないうちにまた湯に体を滑り込ませる。

 これを何度も繰り返し1時間くらい。

 のぼせる身体は体温を増し血液の巡りが良くなるのが分かる。

 その巡りは脳みそをも刺激し、時には立ちくらみをも起こすがそれがまた良い。

 ほてった身体が落ち着くまでボーっと遠くのヒマラヤ山系の山を見つめてたり、白い雲が頭上を通過するのを只々じっと見てる。

 何もせず、何も考えず、何にも囚われる事なくじっと次のお湯に浸かるまでの時を潰す。

 時にそれは時を超えることすらある。
 
 湯に浸かれば浸かったで、とてもシャンティな心持ちになり、喋らずとも湯仲間と同じ気持ちなのが理解出来る。

 幸福感に満たされ、波立たない湯面のように気持ちがとても静かになる。

 これほどまでに落ち着く気持ちに自分もなれるのか!と驚嘆すらする。


 その一方で、すべての事柄はどうでも良くなっている。

 のぼせる前に一度湯から上がりクールダウンだ。


 ヴァシストの硫黄泉、やはり最高だ。


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 近郊にパールバティ・ヴァレーというマナリーのような谷あいの村々が点在する場所があり、そこの温泉が恐らくインドで一番最高だという事だ。

 なので今度またこの地を訪ねることがあるのであれば、カソールからひとつずつ村攻め温泉攻めをしていきたい。



 ヴァシストでは思わぬ再会を何人とも果たした。

 俺のインド道での過程を経てプリー、コルカタ、デリー、ポカラで出会っていた日本人達。

 日本人はやはり温泉好きが多いのだろうか、ヴァシストには結構日本人がいたのだ。


 いつも誰かの部屋が溜まり場になっていて、みなで飽きることなく遊んでいる。

 あっという間に時間が過ぎ行き、気が付くとまた一日が終わっている。

 それは子供時代のように延々と続く時間を弄んでいるようだった。

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 ヴァシストの崖の途中にあるマンゴーツリーハウスと言う名の宿まで2回も登った。

 ここからの景色の良さは一見の価値があるが、辿り着くまでは苦難の道だった。

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 一番最初にバスで降りた街、ニューマナリーへは買い物をしに2度下りた。

 街の便利さと物の豊富さにありがたみを感じる。

 ローカル食堂もふんだんにあり、飯に飽きることも無い。


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 ヴァシスト村から30分程歩いた先にある滝にも行って来た。

 全然楽勝で辿り着き、水が冷たく綺麗で誰もいない滝はとても居心地の良い場所だった。

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 インドの季節は今、冬に変わろうとしている。


 日に日に気温が下がっていくのが感じられ、ヒマラヤ山系の頂にも確実に雪が降り積もりその面積を広げているのが見て取れる。

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 ヴァシスト村でのオンシーズンも終わりに近づき、旅人も一人、また一人と次の旅路へと下山して行った。


 そろそろ俺も潮時だろか。

 20泊21日。

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 3週間のヴァシストでのゆるかった日々に別れを告げ、再度始まる旅路の先へ進もう。
 
 すでに帰国も見え、「 インド道 」も残りわずかだが、まだ進むべき道がある限り先へ進もう。


 次の目的地はチベット亡命政府のある町・ダラムシャラー。

 
 陽の暮れるバスの車窓からは冬の山並みがシルエットになって映る。

 リクライニング式のシートに寄りかかり、まだ滞在していたいという気持ちを無理矢理に断ち切り、気持ちの転換を図る。
 

 
 今旅一番の沈没地・ヴァシスト。



 ここでの日々も、出会った仲間も決して忘れはしないだろう。

 そうさ、合言葉はいつだって 「 レッツ・ヴァシスト 」 だ。


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 暗闇に包まれた山間の山道を、ナオキーズ!を乗せたおんぼろバスは車体をきしませ西へ西へと走り去って往くのであった。

                                      From Naokys!



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             おい、あそこに来週の「インド道」の告知があるぞ! 待ちきれん!! 



※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。



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 『 インド道 29th 』

 
  「 乗り物マニア&乗車オタク ~スベテノモノニノッテミタイ 」  2009年9月20日~9月23日

 
 
 お待たせ致しました、インド版ローカルバスで移動が好きな酔狂な皆々様方。

 今回はリシュケシュより237km離れたカルカーというローカルな町まで約8時間半、3回乗り継いで行って参りました、私ローカルバス移動マニアの、嫌いだ嫌だと言いつつも気付くと乗ってるおんぼろバス、ナオキーズ!で御座います。 


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               ローカル寝台バス 窓ガラス上部がベットスペースになっている
 

 さて、今回。

 ルートも良く分からず、どうやって移動して行くのかも良く分からなかったので、途中の街で1泊かとも思いましたが、思いのほかとんとん拍子に事は進み、旅特有のなんとかなるだろう。という言葉通り、何とかなってしまい順調に1日で目的地まで行くことが出来ました。

 やったね!!
 
 
 まずはリシュケシュからウッタラーンチャル州の州都・デラデゥーンまでの約1時間。
 
 山道を軽く進み、着いたバスターミナルが南インドのような立派なバスターミナルで驚きました。 

 
 そしてデラデゥーンからチャンディーガルまでの約5時間。
 
 デラデゥーンからすぐにヒマーチャル・プラディッシュ州に入ります。

 野生動物保護区の森になり、生き物の気配はするのですが、路肩で日向ぼっこしている猿の集団しかいませんでした。

 岩山は大理石の採掘場になっているのか大理石屋さんが何軒も連なります。

 そして大麻草の雑草群が無造作に道路端に咲き乱れておりました。


 あぁ、ヒマーチャル。

 さぁさ、ヒマーチャル。

 ニンともカンともですな。
 

 その野生動物保護区の森を抜けると、平野が広がりハリヤーナ州です。

 ユーカリの木が街路樹となってその向こうには水田が広々と広がります。

 そしてユーカリに負けじと防風林のように背の高い大麻草の雑草群が砂埃や排気ガスから我等の米を全身を真っ白に埃まみれにしながら守っていました。
 

 辺りがすっかり暗くなった頃、チャンディーガルの街に入ります。

 この街は一つの街なのですが、ハリヤーナ州とパンジャービ州の二つの州の州都を兼ねている連邦直轄領なのです。

 セクター毎に区画されていて街は碁盤の目のようにくっきりしています。

 そこに、緑や住宅街が静かに建ち並んでいるのです。

 走っている車はインドとは思えないほどみな小奇麗で、交差点ごとに信号があります。

 驚愕したのは信号が赤になると片側三車線の道路に、車がきちんと三台づつ列も乱さずに並んでいるのです。


 もちろん交差点に警察官がいないにも係わらずです。

 信号無視もありえません・・・・


 この街で違和感がある車はまさにいま我々が乗っているおんぼろバスの方なのです。

 クラクションをやたら鳴らしているのも我等がおんぼろバスだけなのです。
 
 なにか日本の都市に突然迷い込んできてしまった錯覚に心臓がドキドキし、帰国前のリハビリの必要性を考えるほどに緊張感を強いられました。
 

 それ以外にも不可解なのは、この街にゴミが落ちていないのです。

 まさかそんな馬鹿な?と思い、何度も道端に落ちていないかゴミを探してしまうくらい落ちてないのです。

 これは夜で暗く外が見えづらいからだと思いたいです。

 牛もまったく見ませんでしたし。


 バスターミナルに着くと、ここも立派な新しい雰囲気のバスターミナルでした。

 で、やはりゴミが見当たりません。

 もしや!?と思い当たりゴミ箱を除いてみると、中にはゴミがたくさん詰まってます。

 まさかこの街に住むインド人はゴミをゴミ箱に捨てるということを知っているのか・・・・?

 その事実に鳥肌の立つ戦慄を感じました。

 
 ここにはインド亜大陸に存在する多様性や、それらを一つに飲み込んだ混沌というものがどこにも見当たらないのです。


 すべてが均一で一定でフラットな雰囲気を街から感じるのです。
 
 もしかしたらこの街で実は何かしらの実験を行っているのかも知れません。

 セクター毎に各州の人間を集めて観察しているのではないか?

 同じ教育を施し、同じ食物を与え、どこの人種が政府に楯突き易いか、どのような生活習慣が害を及ぼすか。

 そして、それによって投与する薬の量を変えコントロールし易いように人種改良を行っているのではないだろうか?

 ここに住む人間に個がなく、ただ与えられた安心の中で日々それなりの暮らしを営み、自由を謳歌している、と思わされてるだけなのではないか? 

 と車窓からチャンディーガルの住人を見た時に感じていました。 

 
 そんなチャンディーガルだったのですが、バスターミナルで次の目的地・カルカー行きのバスはどこかね?と尋ねると、みながそれぞれ違う事や適当な事言い出します。

 いつもなら、はぁ~、またか。 この嘘つき土人共が!

 と怒りに血が上るのですが、この時ばかりは心底ホッとしたのです。

 あぁ、良かったぁ。 こんな不可思議な街でも住んでるのは普通のインド人だったぁって。 
 

 最後はカルカーまでの約1時間半。
 
 もう、夜だしいつ着いてもいいや、なんて思ってましたが、乗り降り激しい路線バスで、おもくそ混んでるうえに30kmほどの距離を1時間半もの時間がかかったのには、ちょいげんなりした次第であります。 

 
 到着した街・カルカーは西部劇の舞台になった事があるのでは?と思わせる程砂塵の吹く町。

 まだ夜の9時半なのに商店街のシャッターは軒並み閉まってて、それでいて歩いてる人が多い。
 

 フッフッフ、実はこの町の駅にこそ、俺は用があるのだよ。 
 
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               レトロな外観が心躍らせる 待望の電車 

 さあさあ、お待たせ致しました!!

 全国のインド登山鉄道マニアの諸君達!!!
 

 7つ海を制覇して5つの大陸征服し、朝と夜2つの顔を持つ空をも手中に収めたナオキーズ!今回の野望、4つあるインド登山鉄道完全乗車。
 
 惜しくも前回のマーテーラーン丘陵鉄道こそ雨季の為に運行しておらず泣く泣く諦めるしかなかったのだが、今回は乗ってきました5時間半。
 
 3つ目のインド登山鉄道、カルカー・シムラー登山鉄道に!! 
 

 これにてラスト登山鉄道です。
 
 当日券で乗れるのだが、それを得るのにもうなんちゅーか、寝る暇がなかった。
 
 夜10時頃に駅の窓口にて明日の鉄道に乗りたいと告げると、乗車券の販売は午前3時からだと。
 
 確かに、朝の便は4:00発-5:30発-6:00発の三便と、どれもが早朝だ。

 そしてどれも5時間程度で終着駅シムラー駅に着く。
 
 この三便も実は乗る時間によってクラスが分かれており、値段もバラバラだそう。

 これはあとから気付いた事なのだが、まぁどれに乗ってもそうは変わらないのがインド登山鉄道の現状だ。 
 

 そんな早くからの販売なら、今夜は宿を取らずにこのまま駅で寝て待っていようと決める。

 しかもうまい事職員に取り入り、日付が変わった12時に切符を売ってくれることとなり、4:00発の登山鉄道の切符を楽々と入手だ。
 
 この便はゼネラルというクラスで、いわゆる一番安い全席自由席。

 ちなみに全行程97km、乗車時間5時間半もかかるのに値段は日本円にしてたったの32円。

 この極端に安いってのもインド登山鉄道に共通する実情だ。 
 

 真夜中12時頃、すでにホームに停まっていた列車内にはびっくりするほどインド人が寝ていた。
 
 これがゼネラルの恐ろしい所で、切符を持って発車時刻20分前に行ったとしても、時間が有り余ってるインド人はおもくそ早くから自分の席を確保してしまうので、俺ら旅行者が気軽に席取っぴなんて出来るはずがないのである。
 
 この時も自分の席を確保しつつ、寝る席もキープという贅沢な方法をなんとか勝ち得ることが出来たのは出発時刻の4時間前に駅にいたからに他ならない。

 もし宿なんかに悠々と泊まってて、3時頃に切符買ってホームで待ってて、さて乗車!なんて余裕は無かったのだ。
 
 いや、でもラッキーだね!

 席も確保出来て、仮に寝坊してもそのまま列車は走ってくれる訳だし。 
 
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               こいつらいったいいつから乗車してたんだろうか・・・・


 そんなカルカー・シムラー登山鉄道。

 当然の事ながら外はまだ真っ暗で、車窓からの景色なんてあったもんじゃなかったです。
 
 丸一日の長いバス移動のあと、すぐに駅来て切符とってと割りと大変だった上に3時間くらいしか寝てないのです。
 
 乗車時間の約半分の時間は睡眠時間となっており、あまり記憶に残るような素敵な思い出は… 残念ながらありませんでした。 

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               山の麓の町・カルカーから いざ、出発ーーー!!
 

 ディーゼル車ががんばって8両編成を引っ張って山を登っていく。

 とにかく、カーブがやたらと多い。

 トンネルもやたらと多い。

 そのトンネルの一つは1148mもある長いトンネル。

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                駅からすぐトンネルとか!


 世界遺産の暫定リストに載ってるだけなのに、もう世界遺産気分で各駅に必ずユニセフ印の説明が書いてある碑が設置してある。
 
 速度は今まで一番早いかも。

 日本の私鉄の急行列車が各駅しか停まらない駅を通過していく時くらいの速度。

 馬力もあるからアップダウンの速度の違いも無い。 

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                インドの車窓から  速くてとても感心した
 
 とにかく山の中。

 当然、上がるたびに寒くなり、そして天気も良い方ではなく、雲の中に突入する感じで霧雨の中を走り、時折雲海が下方に見えたり、太陽が顔を出したり、一瞬青空が垣間見れたりと、そりゃもう山の天気は変わり易いといったそのままの天候。

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                標高がぐんぐんあがるのが登山鉄道の醍醐味
 
 
 気がつくと山の斜面に町があったりはするが、これまでに見た事のある景色ばかりで目を見張るよりも瞼が下がる事の方が多かった。
 
 もう登山鉄道、お腹一杯だったな。

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                たまに明るくなるが 基本的にこの日は曇りより

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               山の中の駅は霧ぎみで小雨
 
 
 そしてシムラー駅到着。

 標高2206m。

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                ディーゼル君 おつかれさまでした
 
 
 30分バックパックを背負ったまま宿探しで歩いても、汗ひとつかかない気持ちの良い気候です。

 眺めもよく道を歩いてても見晴らしがいいところばかりです。
 
 坂道が多いから息切れはしますが、ゆっくり歩く速度もまた気持ちがいいのです。

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              斜面に町が形成されている インド避暑地のひとつの特徴

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               歩いての町移動は肺活量を試される所業 
 

 イギリスが支配してた頃の夏の首都・シムラー。

 避暑地として有名なこの地は、まさにその通りな雰囲気でした。

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               メイン広場は観光客でいっぱい

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               世界中から訪れている。  はず・・・・

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                 メインだけは なんでも揃っている  まさに観光スポット

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               油断するとボロが目立つのがインドの良いところですなぁ


 ホテルの従業員とか俺にまで「サー」を必ずつけます。
 
 部屋からの窓越しの夕陽はとてもきれいで見惚れてしまう程でした。
 
 そんなシムラーですが、わずか一泊でもう後にします。

 少し心残りのほうがまた来たくなるものですから。 

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                ずーと、眺めていたい避暑地の夕焼けオレンジ景色

 

 それでは今夜、早速夜行バスで旅立ちます。

 次こそようやく、北方山岳方面のメイン目的地・マナリーに辿り着けるようです。
 
 
                                            From Naokys!


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          今週もおもしろかったわね~、奥様! まったくあと1週間も待ちきれないわぁ
 
 

 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。



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 『 インド道 28th  』


 「 源流回想録 ~裏~ 」 2009年9月16日~9月19日


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                                     一般的なローカルバスの運転席


 ガンガーの源流を求めて、ヒマラヤの麓のガンゴートリーという聖地へ行こうと思った。

 そのまだ先に本当の源流とも言えるゴームク(牛の口)という氷河から流れるガンガーがあるのだが、出来ればそこまでも行ってみたいのだ。

 そしてそこで沐浴すれば清らかな心と体になれるかもだ。



 早めに出発しようとしたんだが昼前だった。

 とりあえず今日は175km先のウッタルカシという町まで行ければオッケーだからと余裕ぶっこいてたな。

 ウッタルカシ行きのバスに乗れはしたが1時間バスの中で待たされた。

 いったいいつ出発するのかさっぱり分からんし、誰がドライバーでどいつが車掌なのかも見分けがつかん。

 おまけに俺には風邪の初期症状が出てて、鼻が詰まり喉が荒れて息がしづらいのだ。

 そして車内は暑く汗ばむ。

 この汗が乾いて寒くなったら悪化すんだろうなぁ、風邪。

 ていうか、こんな体調不良で標高3048mのガンゴートリーなんか行っちゃって平気なんだろうか。

 こういっちゃなんだが俺は人一倍高山病になりやすい体質なのだ。

 それはもう1500mくらいから激しい運動すると息が上がり、2000mくらいから歩いてるだけでフラフラしだすのだ。

 富士山の8合目でひどい頭痛にさい悩まされたのは20代中盤くらいだったと思う。
 

 でもまあ、バスは進むよどこまでも。

 山という山をいくつもいくつも越えていく。

 それはなんかすごく無駄なルートな気がすんのは俺だけか?

 今、高い所を走っていても、隣の山の下の方に道路が見えると、ぐるっと山腹を尾根沿いに谷に向かって迂回して下り、その道路に行くのだ。

 そんでまたその山を登ってく。

 それを繰り返して山をひとつずつクリアしながら進む。

 もっとこうなんか1本道でがーんっと行けないのかね。

 超めんどくさいよ。


 畑に田んぼに、段々畑、棚田と人の手の加わった山ばかり、もうかなり奥地に来てると思うんだけどな。

 すげえとこまで人が住んでるんだな。

 でも、こんだけ絶景なら人も住みたくなるわいな。

 その気持ちは分かる。

 ウッタルカシまでの道は快適だった。

 それこそネパール並みの左手崖斜面、右手谷底の山道で、パキスタンはカラコルム・ハイウェイ張りにそこかしこで土砂崩れの痕跡がありはするけども、道幅がちゃんと車2台分あって擦れ違いも容易だし、雨さえ降らなければたいした事ぁないよ。

 景色も綺麗だし、5時間ほど走ったらガンガーが湖みたいな大きさになってこんな上流でも母なる大河の役割を果たしてる。

 さっすがガンガーだな。


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               早朝でもインド人の朝は早い


 次の日は朝からバスでガンゴートーリーを目指す。

 高山病予防の為に水とカロリー補給のバナナを買い込んで朝食がてら栄養補給だ。

 このちょい手前から違う国道に変わったんだけど、これを国道と呼ぶには千年早ぇ。

 舗装されてなかったり、擦れ違いが際どかったり、滝河が道路をふさいでたりと、とてもバスが通る道とは思えん。

 でもトラックとかミリタリーポリスの軍用車とかも通るからすごい。

 チベットとの国境がもうすぐそこなんで軍事目的に造られたのか?

 通り過ぎる山間の村々では警察官よりも軍人のが増えてきたし。

 あと本当に歩いて聖地を目指してるサドゥも何人かいるよ。

 リシュケシュからだけでもゴームクまで290kmもあんのに。


 それにしてもヒマラヤが近づいてきた証拠に景観が変わって来た。

 岩山高山ばかりになり、切り立つ崖が山頂から谷底のガンガーまで垂直に近いほど競り建ってる。

 その昔、インド大陸がヒマラヤの海岸に衝突した際の衝撃がそのまま山に成り変ってる。

 地層を歪め地殻をヘシ曲げた岩盤が盛り上がり砕け飛び散る荒々しい最中、そして気の遠くなるようなスローモーションでそれは今後も地球が存続する限り続いてく。

 そんな風景が広がるが、莫大な時間の流れの感覚がいまいち実感できない俺にはのどかで風光明媚な世界にしか映らない。

 でも、それでいいのだよ。

 ヒマラヤ山系の白く輝く頂が現れた時、その驚愕の世界に何者も住まうべきではないとさえ感じた。

 神々でさえ住んじゃならん。

 仮りにそこに住まうことが出来る者が居るとしたら、それは天上人のチベタンだけだろうな。

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               大地の天界の頂が見えてきた


 標高が上がるにしたがって空気が乾き、鼻水までもが乾燥した。

 鼻詰まりがなくなったのだよ。

 でも砂埃と排気ガスが巻き上がるから、炎症気味の喉と鼻に直に大ダメージをくらう。

 そんで酸素も減ってきたのかあくび止まらん。

 寝ると呼吸が浅くなり高山病を誘発するので寝るのは禁物だ。

 ・・・・だが、いつの間にか眠ってた。

 
 ヒマラヤ杉の森が岩山を覆い、バスは高度を一気に上げる。

 息が荒いのか喉の乾燥も進み水をがぶ飲みだ。

 来たな、そろそろ高山病か!?

 と言っても何も対処する事が出来ないまま、両手の指先が痺れてきた。

 酸素が末端まで届いてねぇぞ。

 そうこうしてるうちにガンゴートリーに到着だ。

 だが、頭痛は激しく動悸は活発でめまいクラクラ超しんどい。


 一刻も早くベッドに潜り込むか、下山したい。

 だが来たばっかで下山はねえだろと、体が高度に慣れるまでの我慢だ、とおとなしくしてることにした。


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                完全なる雪解け水が流れるガンジス河の上流


 開放感のある部屋は病床と化したが、それを気にしてる余裕は俺には全くなかった。

 なにか喰わなければマズイと無理やり起き出し飯を喰いに出かける。

 腹が膨れるとだいぶ落ち着いたが、とはいえ頭ん中はいまだガンガンだ。
 
 こうなりゃ神頼みしかないと聖なるガンガーへ行き、俺の体を浄化してください、と足を浸けてみる。


 イタッ!! イタタタターーーー!!


 なんだここ!!

 水が冷た過ぎて痛ぇ!

 足がもげたかと思った。

 3秒も入れなかったぞ・・・・



 ここが駄目ならと、ガンゴートリー寺院へ参拝だ。

 裸足になり寺院へ入るが今度は大理石が氷のように冷え切っててゆっくり参拝も出来ん。

 ひとつところに留まってられないのだよ。

 ま、まぁ、とりあえずガンゴートリーでのメインイベントはなんとかこなしたんで、即効帰ってまたベッドに潜り込んだ。



 頭の中の鈍痛と、喉の渇きと風邪の掠れ、ちょっと動くとめまいに襲われ、おまけに水下痢祭りも始まり、この体から抜け出そうともがき苦しむ悪夢を何度も見た。

 昼間っから寝てるもんだから夕方も夜もぐっすりなんか寝てらんない。

 2時間眠り、目を覚ますとすぐに頭痛に襲われ喉が渇く。

 それをもう延々繰り返す。

 こんなに長くてキツイ夜はそう何度も経験する事ではないぞ。

 まさかこんなに長い時間頭痛が止まらないとは思いもしなかった。

 そりゃもうロマンチックより止まんないよ。

 少し寝てればすぐに回復すると思ってたのになぁ。



 朝、意識の遠くで頭痛を感じるだけになってたのがまだ救いだった。

 それでも歩くとめまいがして酔っ払いなごとき千鳥足。

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                空も近い ヒマラヤの懐は空気も冷たく純粋

 本日もガンゴートリー寺院へ再度参拝しに行った。


 聖なる河・ガンガーは相変わらずの冷たさ痛さで、沐浴なんてさすがのインド人も気合いの入った奴しかやってない。

 もしかしてあの全身沐浴してる奴んとこの水は実は少しぬるいんじゃないかと思ってそっちに行って足浴してみた。



 イタッ!! イタタタターーーー!!



 変わんねーつーの!! 

 宗教に陶酔する力の根源を見た気がした。


 この先、ガンガーの一滴があるゴームクまではトレッキングで進む。

 18kmを1日か、2日かけて。

 ここからさらに高さ850m程登った標高3892mの氷河の出口がゴームク、牛の口と言われるガンガーの源流だ。


 ここがそんな有名なトレッキングルートだなんて知らなかったし、そんなとこサドゥしか行かないんだと思ってた。

 しかもサドゥは裸足かサンダル履きだろうから、すごく近くて3、4時間も山登れば着くんじゃねえかって思ってたんだよ。
 
 確かにここにいるサドゥの大半は裸足だしサンダル履きだった。

 でも西洋人のトレッカーとか、インド人のツーリストとか、巡礼者とかみんなちゃんと靴ですよ。

 そして思うに昨日今日とここで高山病の症状が出てるのは俺だけですよ。

 たかだか3000mだし。

 みんな笑いながらここに車やバスで着いて、次の日さっそくゴームクまでピクニック感覚で行ってるのですよ。

 でも俺には無理。

 高山病・喉風邪・水下痢の三大祭り開催中。

 おまけに俺サンダル。

 気軽に行けなそうだな。


 朝飯喰ったレストランの壁にゴームクの氷河のポスターが貼ってあったから、そいつをデジカメに収めてヴァーチャル参拝。

 もう敗北宣言だぜ。

 一応、ここでガンガー・ウォーターは汲んだしな。

 もうとにかく帰る。

 下山したい。

 ここにあと2、3日滞在してしばらく順応させればゴームクまで行けるだろうがもういいや。

 どんなに良いサイコロの目が出ようが牛歩カードくらってるからスローだもん。

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          この景色はまたのお預け ガンガーの一滴はこの氷河から噴射!!


 そんな体調悪いときに限って物事はにっちさっちも行かずに帰りのバス探しに4時間も費やし、そのバスで2時間待ちという苦行を強いられる。

 ツライから山下りたいだけなんだけど俺は・・・・

 しかもそのバスはものすごい詰め込みようで、バスなのにエコノミー症候群になりそうな窮屈さ。

 健康体でも辛い状況を三重苦でどーもすいません。


 俺の体は正直だ。

 バスは進み標高が下がる。

 それは30分も走った頃だったか、急に頭の中の頭痛とぼんやりとした違和感が消え、はっきりと物事を認識することが出来た。

 昨日よりマシになって体も高度に適応してきたかと思ってたが、こうまで意識がはっきりするとは思わなかったよ。

 酸素って大事なんだね。

 当たり前にあるから全然意識してないで生活してるけど、これからは酸素にも感謝しなきゃいかんな。



 さらに標高下がると今度は鼻水が復活だ。

 カラッカラだった鼻と喉の通り道に粘膜が戻ってきたぞ。

 これで砂埃をガードする事が容易だぜ。

 しかし蓄膿症っぽく涙目も戻り軽い頭痛も戻ってきた。

 なんか3日前の風邪の初期症状よりちょっぴり進化してねえか? でも気にするな。

 俺にはまだこのバスの周りに存在する絶大なる景色を眺めることができるんだから!


DSC06375

                家畜の避け待ちがある 山中の国道

 翌朝、ウッタルカシからのリシュケシュ行きのバスはもう快適だったよ。

 高山病も無い。

 下痢も地元薬で強制ストップ。

 何故か喉風邪が咳きに変わっていたが喉のイガイガは消えている。

 そしてバス車内は空いてて国道も舗装されてて揺れも少ない。

 こうなると気持ちに余裕あるし、外の情景も穏やかで楽しい。

 ガンジス河が下流にいくに従って大きくなっていく。

 上流に向かってるときはそれほど気にしてなかったが、今ガンガーと共に海に向かって走っているとそれを実感する。

 しかもそれはただ1本の水の流れが続いていくのではなく、あらゆる所から支流が重なり、大きな流れから小さな流れまで入れれば数千本単位の支流が、続々とガンガーの流れに吸い寄せられるように重なっていき合流する。

 そうしてガンガーは成長を続け次第に大きくなっていくのだ、元気玉のように。

DSC06397

               湖のようなガンジス河 でもまだ山深い土地


 ガンガーとはひとつ河の固有名詞ではなく、たくさんの生命力が集まった総称なのではないだろうか。


 源流。

 最初の一滴。


 正直いうとめっちゃ見たかった。

 シヴァがガンガーの水を髪の毛で受け止めて地上に流す、という神話を俺もやってみたかったんだよ。

 ゴームクから流れる水を頭からかぶるというシヴァの物真似を。

 それにはまだまだ修行が足りなかったようだぜ。

 シヴァはやっぱり遠いな。

 もっと体と心を鍛えて健康にならなければならん。

 そして靴もちゃんと用意しなきゃならん。

 あと出来れば酸素スプレーも欲しいよね!

DSC06352

               シヴァが河の水流を受け止める神話壁画


 バスに乗ってる間ずっと思ってたのは、もう二度とここには来ないって事だ。

 辛い・長い・キツい・だったから。

 でもちょっぴり悔しいからいつかまた来よう、って今は思ってる。



                                           From Naokys!

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 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。



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プロフィール

ナオキーズ!

はじめまして!             
 旅好き、アジア好き、遺跡好き、神社仏閣好き、大道芸好き、パフォーマンス好き、民族音楽好き、倍音好き。

 人生どうにかなりそう!アジア人を見てそう思い、楽観的・わがままになってゆる~い人生、テンションあげて生きてます。

 あぁ、もう残り半分。 旅に出ねば。 

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