「 ブッダ・仏陀・ブッダ 」 2009年5月20日~5月26日
 
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                オーパーツハンター ~さびない鉄柱~ in デリー


 俺の母方の祖父、悟じいちゃんは筋金入りの日蓮宗大好きっ子だ。

 それこそ何十年も毎朝毎晩「南無妙法蓮華経」とお題目を唱え続けた近所でも評判の念仏じじいだ。
 
 そんなじじいの念仏が2009年の1月に聞こえなくなった。

 どんな病気もお題目さえ唱えていればたちどころに治っちまうと豪語し、かつそれで数々の病を克服してきたのだったが、ついにその思いも叶わず93歳の若さで逝っちまった。
 
 以前、俺がインドに行った際、仏陀が覚りをひらいた地ブッダガヤでのお土産として、菩提樹の葉っぱをあげた事がある。

 その後で聞いた話だが、じいちゃんも仏陀が歩いたところに行ってみたいなぁなんてような事をぼやいてたらしい。
 本人に直接聞いた話じゃないが、悟じいちゃんの葬式の日にふとそんな事を思い出した俺は、ここぞとばかりに親戚一同を前にこう宣言したのである。


  「やあやあよく聴け皆の衆。 余計な世話かも知れないが、一度は夢見た天竺へ、志半ばで往けぬなら、同行しませう地の果てまでも。 はからずしも、誰より身軽なこの俺様。 行かずば代々不幸者。」
 

 はたして俺はインド行きを決意したのである。

 これはまさに今、インドに呼ばれたのだと確信して。


 これまでに3度インドを訪れていた俺は、インドでの非現実的な出来事をある事ない事語っていたのだが、それを聞いていて、インドなんか死んでも行きたくないと常々言っていたハニーも半ば強引に説得し、今回の旅に同行する事にしたのである。

 百聞は一見にしかず。

 行った事もないのに嫌いだとか言うな。 体感してみて心底嫌なら大嫌い宣言を出せと。


 そうして2人で旅の準備をしてる内に、‘‘悟じいちゃんの骨を仏教聖地に連れて行く’’ というメインテーマが、何故だか2人で仏教8大聖地をじいちゃん散骨しながら周って、2週間したらハニーは帰国して、そのあと俺は3ヶ月(当初の予定)かけて念願のインド1周というバックパッカー的要素がメインになってしまった。

 何故だろう、何故かしら。
 

 そんな疑惑的な計画を大インドが見逃すはずもなく、見事に旅期間の3ヶ月丸々雨季に突入というもっともインド1周しにくい時期になってしまった。

 雨季に入るまでだって酷暑期という悪条件があり、さすがの俺もハニーより行きたくない気持ちでいっぱいになる。

 しかし呼ばれた手前断るのもなんだし、ある意味旅行者も少なくって、雨が降るおかげで空気も多少綺麗になるだろうし、フルーツなんかもたわわに実るだろうと心をポジスイッチに入れ直したのだった。

 
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                  AIR INDIAの窓はインド風でカワユス

 2009年5月20日。。。

 夕刻にデリー空港に降り立った俺ら2人は、もう沈みかける太陽の時間なのに狂おしい程蒸し暑く、排気ガスと埃まみれの酸素しか吸えないインドの街に言葉もなかった。
 

 いよいよ「悟道散骨会」のスタートの幕が切って落とされるのだが、まずは状況説明からだな。

 ブッダが覚りをひらいて説法しながら歩いた道程が今で言う仏教8大聖地となっていて、当時の仏教遺跡が主な見所となっている。
 ネパールの一部やインドの北東地方がその主な地域なのだが、ここら辺りは限りない大平野となっており、灼熱の大地のみ、という過酷な環境だ。
 しかしブッダが生きていた時代にはこの大地に16もの国があり、その国々をブッダは巡り歩いていたという訳である。
 

 その荒れた大平野に辿り着くまでに、まず俺ら2人はデリーから夜行寝台列車に乗って東へ約1000キロ、一晩かけて、パトナーというビハール州の州都を目指した。

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                  列車内の売り子 豆と生野菜をスナック的に

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                                     ぐったりハニー( ㊟→右側!! )

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                           インドあるある


 パトナー駅を一歩外に出ると、埃舞う眼前におびただしい人々、オートリキシャ、サイクルリキシャ、車に馬車、大八車、牛そして100万匹の蝿が縦横無尽に行き交い、すべての車からクラクションやベルが各々のリズムで叩き出される混沌空間が広がっていた。


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                    なにもかもが多すぎる・・・・


 この街はかつては大国マガダ国の古都だった土地だ。
 
 このカオスな街から日帰りバスで目指すは8大聖地のひとつ、ヴァイシャーリー。

 かつてはリッチャヴィ族の首都として繁栄していた地で、仏陀も何度も説法をしに訪れていたという。

 仏陀の死後、仏舎利(遺骨)を収められたストゥーパがこのヴァイシャーリーという辺鄙な村にあるのだ。


 バスに乗りパトナーの街を抜けるのに大河ガンガー(ガンジス河)を渡る。 が、いまは乾季で川幅はそれほどでもないが、ここを渡る橋の長さが全長5キロメートル以上もあるのだ。
 雨季にはその橋の下すべてがガンガーで満たされる事となるだろう。

 問題はその長い橋が工事規制で、上下線二車線あるうちの一つが工事中のため、一部片側通行になっていた事だ。

 インド人はその狭い通行可能な一つの車線に我先へと、10台だろうが隙間を見つけて突っ込んでくる。

 当然1台も通れずにそこから後ろにどんどん詰まってきて上下線の大渋滞が始まる。

 その渋滞は5キロもの橋全体を渋滞で埋め尽くす。

 基本ボロばかりな車体が多く、その渋滞の最中故障で立ち往生していたり、車幅1ミリ感覚で詰まってる車たちは接触事故を至る所で発生させ喧嘩が始まる。


 膨大な無駄が日常茶飯事で、橋を渡りきるのに1時間以上もかかった挙句に雨までもが降り出してきた。

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                                           多少の擦り傷は気にならない・・・・
 

 雨降り続く中、3度もバスを乗り換えてようやく辿り着いたヴァイシャーリー。

 幹線道路の脇の小さな村のその奥の畑の中に、沐浴する池と、ストゥーパと、いくつかの国の仏教寺院がぽつりとあるのみだった。

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                     この看板が8大聖地クオリティー

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                    これ全部が親戚だって言ってた・・・・


 しかし、雨の中歩いて見るのは辛いと思いきや、そこを訪れた時にはすっかり雨もやみ、静かな気持ちの良い空間に早変わりした。
 

 そのストゥーパにて「悟道散骨会1」。 合唱。

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                   もっとも古いストゥーパ跡
 

 帰りはバスの乗り換え、道路状況など、何故かとんとん拍子に上手く行き、行きに5時間半かかった道程
が2時間半で帰ってくることが出来た。

 おじいちゃん、ありがとう。

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                     帰りのバスの快適な車内 
 

 翌日は、仏陀が雨季に身を寄せていた竹林精舎のある8大聖地のひとつ、ラージギルへと向かった。

 かつての大国マガダ国の首都ラージャグリハが栄えていた土地だ。


 しかし、またもや大雨が朝から降り続け憂鬱な気分にさせてくれている。

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                 雨の中、屋根のある幸せ が、ワイパーはない


 雨の中、ラージキルに降り立つと、小さな町レベルでの雨水流れるその道には、ゴミとウンコがミックスされて川となり、歩くにもインド人の足じゃなきゃ太刀打ち出来ないような下水の道。


 インド入国6日目。 これまできっと我慢していたんだろう・・・・ バスを降り、惨状を目にしたハニーがついに泣いた・・・・
 しくしくと・・・・ も、もう耐えられないと・・・・ 

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                   恵みの雨は道路の洗浄も兼ねた


 少し雨が弱まったのを合図に近場のナーランダへ。 ここは8大聖地入りはしていないが、当時1万人もの学僧がいて、あの玄奘三蔵法師も7年間学んだナーランダ大学の遺跡がある場所だ。

 日本から持参の田植え用スーパー長靴を2人で履いて合羽を着込んだ完全雨装備で観光だ。

 驚いたのはこの大雨の中、訪れる奴なんか誰もいねぇ、貸切だと思われたナーランダ大学の遺跡に、普通にインド人観光客が傘も指さずに幾人も訪れていた事だった、びしょ濡れで。
 
 完全雨装備の俺ら馬鹿みたいじゃんな。

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                      ナーランダ大学の鬼教師 
 

 次の日も朝から雨だった。

 この町ラージキルは、何もない大平野のビハール州の中にあって、この辺りだけ5つのゴツい岩山に囲まれた不思議な土地だ。

 その岩山にラトナギリ(多宝山)とグリッドラクータ(霊鷲山)という岩山がある。

 このグリッドラクータ(霊鷲山)こそが、「悟道散骨会」メインの散骨場と決めていた。

 この山の山頂の一枚岩の上で仏陀が弟子を集め、初めて法華経を説いたと言われる所なのだ。

 悟道は日蓮宗。 日蓮宗と言えば言わずもがな法華経に他ならない。

 ここに撒かずしてどこに撒く? くらいのホーリープレイスだろう。


 少し雨がやみ始めて来たので期を狙って宿を飛び出て出発だ。

 馬車に乗り、岩山の麓までのんびりと進むうちに雨がやんできた。

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                        馬車に乗る 歩くよりは早い


 まずはラトナギリの頂上へ登るのにロープウェイに乗るということになっていたが、実際はスキーのリフトが上まで延びてるだけ。
 どこがロープウェイやねん!っと何度も突っ込みを入れられていそうだ。

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                     長距離スキーリフト


 しかしこれがびっくりするくらいの絶景。

 高度が上がる度に絶景度もぐんぐん上がってく。

 頂上に着いたら声も出ないくらいの眺めが眼下を覆うのだ。

 360度大平野がどこまでもどこまでも広がり、パノラマの地平線が円を描く。 

 晴れ渡る空が球状の地球を青く高く覆っていて、吹き抜ける風はどこから吹いてくるのだろうか。

 人間の作り出すものなど一切目に入らず、背の高いものは樹木のみという大自然の奇跡のジオラマだった。

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                    360℃景色のほんの一部

 
 その隣の岩山グリッドラクータにも足を運ぶ。

 仏陀が法華経を説いたと言う一枚岩からの眺めは神の目線。

 そりゃこんな場所で、「俺、覚り開いてこんなこと知っちゃたからぁ、ちょっと教えてあげるよ」 なんてこの場で言われたら誰だって改宗するさな。

 とにかく37年間(2009年当時)生きてきて、こんなとびきりドデカイ大絶景を拝んだのなんて初めてで、心奪われて死ぬかと思ったよ。


 ずっと雨続きでどうなるかと思ったけど、悟じいちゃんもきっとここには来たかったんだろうなぁ。

 だから晴れさせてくれたんだよ、きっと。 サンキューだぜ。
 

 グリッドラクータの祭壇にて「悟道散骨会2」。 合唱。

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                    ブッダもよくここまで来たもんだ                    
 


 なんだかんだと辿り着くまでは色々苦労ばっかだけど、ここぞって時にはしっかり上手くいく。


 仏陀と悟道と俺とハニーの心意気の調和の賜物か。


 本当は一から百まで上手くいって欲しいもんだが、それにはまだまだ修行が足りんのね。


 残り6ヶ所。

 まだ始まったばっかだぜ!


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                                                            From Naokys!


  ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。
  
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