ぶらっと、旅る。 

   人生の半分を夏休みに捧げたいアラフォーバックパッカー・ナオキーズ!(The naokys!)  過去に辿った一人旅を焼き増ししたり、これから行くであろう冒険浪漫な旅路をドドドッと書き綴る狂い咲き旅日記

          ~  The naokys! presents  俺旅  ~

インド

 『 インド道 梵 』‏


            「 あとがき ~旅の道記録 」  2009年10月22日

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 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 
 

 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす
 

 無くて七癖ナオキーズ!有って四十ちょい手前
 

 行ってきますは春の頃 郷の戻れば・・・・なんだ?ここ超さみぃ。
 
 

 2009年10月22日の朝、無事に成田空港に辿り着き帰国しましたよ、ナオキーズ!
 

 2009年5月20日水曜日より2009年10月22日木曜日まで、およそ5ヶ月間を使い念願果たした大天竺1周 「 インド道 」 。
 
 人類が文字を使い始めて以来、過去最高とも噂される旅行ブログ手記 『 インド道 』 をご覧下さった皆様方々ありがとう。 

 で、ただいま。
 
 
 さてさて、現在2015年から6年も前の2009年に旅立ったインド旅。 
 
 仏教8大聖地、祖父・散骨巡りに始まり、時計回りにぐるりっとインド大陸を1周した訳なんですが、とにかく広すぎる国で様々なことがあり、色んな所へ行き、そりゃ目が腐るほど観光しました。

 そこで軽く想い出に浸りながら旅人としての自分自身に酔いつつ歩いて来た道を振り返り・・・・

 ・・・・あとがきと、させて頂きます。
 
 

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          『インド道』   (日程 - 滞在都市 - 主な観光スポット)


 5月20日~5月22日   デリー        クトゥブ・ミナール(世界遺産)                      

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 5月23日~5月24日   パトナー       ヴァイシャーリー(仏教8大聖地)                    

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 5月25日~5月26日   ラージギル     ナーランダー、竹林精舎・霊鷲山(仏教8大聖地)           

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 5月27日~5月28日   ブッダガヤ     マハーボディー寺院(世界遺産・仏教8大聖地)            

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 5月29日~5月31日   バラナシ      サールナート(仏教8大聖地)、ガンガー沐浴            

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 6月1日~6月4日     デリー        ジャマー・マスジット、《ハニー帰国》                   

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 6月05日          ファルカバード            移動日                              

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 6月06日          ラクノウ        サーンカーシャ(仏教8大聖地)                    

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 6月07日          スラバスティ     祇園精舎・舎衛城(仏教8大聖地)                  

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 6月08日~6月09日   ゴーラクプル    クシナガル(仏教8大聖地)、                  

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 6月10日~6月12日   ルンビニ     スノウリ(国境)、マヤデヴィ寺院(仏教8大聖地)、カピラバストゥ

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 6月13日~6月15日   ポカラ         ペンギン村                               

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 6月16日~6月18日   カトマンドゥ      パシュパティナート寺院(インド圏シヴァ4大聖地)        

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 6月19日~6月21日   ダージリン       カーカルビッタ(国境)、トイトレイン(世界遺産)、紅茶園       

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 6月22日          スィリグリー          移動日                                   

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 6月23日~6月23日   コルカタ         パラゴン                                   

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 6月26日~7月08日   プリー           治外法権サンタナ(独房)、ラタ・ジャートラ(祭り)           

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 7月09日          ブバネーシュワル      移動日                                    

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 7月10日          カーンチープラム     チェンナイ移動日

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 7月11日~7月13日    マハーバリプラム     カーンチープラム5ヒンドゥー寺院巡り、マハーバリプラムの建造物群(世界遺産)

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 7月14日          ポンディチェリー     オーロヴィル

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 7月15日~7月17日   クンバコーナム     チダムバラム、ダーラスラム(世界遺産)、ガンガイコンダチョーラプラム(世界遺産)、タンンジョール(世界遺産)

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 7月18日~7月19日   ラーメシュワラム     ダーナシュコディ

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 7月20日~7月22日   カニャークマリ       部分日食日の出                            

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 7月23日~7月26日   コヴァーラム        ビーチ(夕陽三昧)、トリヴァンドラム                 

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 7月27日~7月29日   ヴァルカラ          ビーチ(夕日鑑賞)                            

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 7月30日          アレッピー          コーラム・アレッピー・バックウォータークルーズ 

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 7月31日~8月05日   コーチン           エルナクラム、フォートコーチン、カタカリダンス            

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 8月06日           メットゥーパーラヤム   ジャンボサーカス(コインバートル)

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 8月07日~8月08日    ウーティ          ニルギリ鉄道(世界遺産)

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 8月09日~8月10日    マイソール         マハーラージャ宮殿、睡眠薬強盗未遂

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 8月11日~8月13日    バンガロール       ソームナートプル、近代シヴァ寺院、ナイフ恐喝未遂    

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 8月14日~8月15日    プッタパルティ       二代目サイババ謁見                          

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 8月16日           アナンタプル         ラージカマル・サーカス                     

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 8月17日~8月19日    ハンピ            ハンピ遺跡群(世界遺産)                       


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 8月20日~8月21日   ハイダラバード        ハイダラバード動物園、チャールミナール                

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 8月22日          ボンベイ             移動日、ヴィクトリア・ターミナス駅(世界遺産)   

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 8月23日          シルディ             初代サイババ・アシュラム                        

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 8月24日~8月30日   アウランガーバード     アウランガーバード石窟寺院、エローラ寺院(世界遺産)、アジャンター石窟寺院(世界遺産)、ピタルコラ石窟寺院、ムーンライトサーカス、ランボーサーカス                            

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 8月31日~9月01日   マンドゥ             マルワ王国遺跡群

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 9月02日~9月04日   ボーパール          ボージプル(巨大リンガ)、ビームベートカー(世界遺産)、サーンチー、ヴィディシャー

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 9月05日           ウダイプル           ラジャスターン芸能鑑賞

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 9月06日~9月09日   プシュカル           ブラフマー寺院、サーヴィトリ寺院、ビュッフェ           

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 9月10日           デリー              地下鉄

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 9月11日~9月12日   ハリドワール          ハチ・キ・パイリー、マンサー・デーヴィー寺院

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 9月13日~9月15日   リシュケシュ           ラクシュマン・ジューラー橋、ラーム・ジューラー橋        

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 9月16日          ウッタルカシ            移動日                                

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 9月17日          ガンゴートリー           ガンジス河源流                         

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 9月18日          ウッタルカシ            移動日                                  

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 9月19日~9月20日   リシュケシュ            トリヴェニー・ガート                        

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 9月21日          カルカー               移動日                                 

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 9月22日~9月23日   シムラー              カルカー・シムラー登山鉄道                    

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 9月24日~10月14日  マナリー              寺院温泉、レッツ・ヴァシスト                     

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 10月15日~10月18日 ダラムサラ             ダライ・ラマ14世謁見                      

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 10月19日~10月21日 デリー               ショッピング、下痢                          

 

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 10月22日         ジャパン              成田

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 全工程:156日間


 総移動距離:約16100km


 全費用:約24万円(1日あたり1540円) 航空券+諸費用込み全費用:約35万円  

  

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 もの凄く急ぎ足。

 でも最後はスピードがた落ちですな・・・・
 

 インドを1周し終え大満足して大満喫しましたが、まだ見たいところや行きたいところが次から次へと出てくるのはインドがデカイから?

 それだけの懐を持ってるのでしょうね、この国は。


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 もの凄く疲れた。

 一ヶ所に長期滞在がインドでは一番賢い過ごし方かも。

 やっぱり気に入った所でゆっくりするのがいいですね!

 
 インド料理。

 今回はっきりと理解したのは、南インド料理は美味いって事。



 北で下痢して南で治り、再度北上、下痢ぶり返す。
 


 南インドはあきらかにインドとは違う国。

 インドに疲れたらネパール行け!とはよく言うが、南に下りても癒されます。 

 米! 米! ウマウマ!! フルーツ旨!!
 

 そして北方面お山も最高です。

 マナリー方面にリシュケシュも雰囲気良しで文句無し。

 ヒマラヤ近いし、シヴァに嫁にと梵々でした。

 
 インドには砂漠もあります。

 今回少し顔出したが、やっぱりラジャスターンの砂漠の民、伝統芸能、砂、駱駝、人形劇・・・・ いいわ~
 
 芸能といえば、コーチンでのカタカリ・ダンスも南インド・カルナーティック音楽も鳥肌ぶつぶつ。 
 
 

 そしてなによりも、インド人。 

 

 インド人。 って言うだけでなにかコミカルな印象を受けるのは気のせいか?

 奴らを見てると何かしらツッコミを入れたくなるのは気のせいか?

 日本の常識や今まで当たり前だと思ってた事が木っ端微塵に砕かれるのは気のせいか?

 酷く馬鹿にされ騙され怒り狂ってるのに憎めないのは気のせいか?
 


 経済発展してこれからインドは超大国になるというのは、間違いなく気のせいだろう。

 10億人もいて1億人が金持ちだとしても、残りの9億人は貧乏だ。

 1億人がインドをリードして世界を動かしても、残りの9億人はせいぜい野良牛をどかすくらいだろう。
 

 

 ・・・・う~ん。 
 

 インドにいろいろと思いを馳せてたら、なんかまたすぐ行きたくなっちまった。


 でもお楽しみはまだ取っといたがいいね、またインド野郎に呼ばれるその日まで。
 

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 必ず行くぞと思えば行けず 想いは募るが修羅の土地  
 

 一度行ったら二度三度 冥途の土産の話にゃいい 
 

 腑抜けてバランス崩れた頃に 歩む先へと続く道 これぞこの世の華道と
 

 誰が呼んだか インド道
 
 
                                     

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   ※これにて、ナオキーズ!『 インド道 』 完結です。
 
 
                                       From Naokys!



 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。

 

     毎週木曜日配信終了!!! 過去編も一遍たりとも見逃すな。




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 『 インド道 32th 』


    「 デリー再び、そして・・・・ 」 2009年10月19日~10月21日

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               コンノート・プレイスはインドのお洒落たうん

 
 インド共和国の首都・デリー。
 

 またまたやって来ました、連邦直轄地デリー。
 

 5か月の旅で4回目の来訪、デリー。
 

 埃っぽいし、人多いし、汚いし、便利なようで不便だし、ウザいし、飯不味いし、水臭いし、飽きるし、つまんないデリー。
 
 それでもここに来たのは、インターナショナルエアポートがあり成田への直行便のヒコーキが出てるからなのだよ。

 そうじゃなきゃ別に来る気はないのだよ。
 

 そしてなにより・・・・


 やる事もする事もたいしてなく何も記すことがないのだよ、今回「インド道(ウエイ)」・・・・

 

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               旅行者の集まる明け方のパハールガンジ(メインバザール)

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               同じ通りだとは思えないパハールガンジの昼間…


 デリーという街を訪れる度に思う事がある。
 
 この街の安宿街は、ニューデリー駅近辺のパハールガンジにあるメインバザールの通りに集中していて、それはそれは数多くの安宿が存在する。

 そしてその宿の質はインドいち最悪なのではないかと我思ふ。

 なにがって?

 部屋の汚さ狭さと値段が全く釣り合わないと思ふのだ。
 
 この部屋でこの値段? この値段でこのレベル?? 

 首都という冠かぶって調子に乗ってんじゃないのか?


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               この両脇に安宿がいくつも入り込んでいる

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               夜でもまだ人は絶えないし、宿もやってるし、何よりうるさい
 

 確かに外国人のゲートウェイとしてインド来訪者が通り抜ける第一の関所だし、インドの物価に対応できてない来たばっかなら10ドル以下がほとんどの宿代に安い安いと感じるだろう。

 だが、インドは実は本当はもっともっと安いのである。
 
 だからデリーの宿に不満を感じてしまう。

 これまで6度このメインバザールにやって来て7つの安宿に泊まった。

 どこかに常宿として使えるお気に入りがあるのではないかと来る度に探しているのだが、まだ無い。
 
 所詮バックパックなんぞ背負った埃まみれな旅行者なんぞ小汚い部屋で十分なのだが 、それはそれで値段も安く納得するものなのだ。

 しかしそこがデリーの気に喰わんとこで、部屋レベル1泊200円~400円であろうところが倍近い400円~800円もするのだ。
 

 ・・・・どっちであろうと安いと感じるであろう。

 
 が、インドで付いてる物の値段にゼロ1個付け加えると日本の物価の感覚に近いと思うので、1泊2000円~4000円の部屋が1泊4000円~8000円 に跳ね上がると思って頂けると分かり易いと思う。

 首都ってだけでだ。

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         テロも起こるし通りの入口にはしっかり金属探知ゲートがある ……が!?
 

 どんな部屋かというと、6畳から8畳くらいの広さの部屋にWベッドが一つ置いてある。

 ベッドの上には枕が2つ転がってるだけでブランケットのような掛物はない。

 天井ではファンがひとつクルクルと回転して涼を送ってる。

 部屋の壁には落書きか、水が染み出してきた痕、蜘蛛の巣、年季の入った汚れ等。

 運が良ければ部屋にはトイレ・シャワーが付いているが、だいたいは共同便所・共同シャワーだ。

 そのトイレも水が流れない場合あり、そのシャワーの先端から出る水は目詰まりを起こし、四方八方あらぬところへ飛び散る寸法。

 またさらに運が良ければ窓があり、外の明かりが入ってくる明るい部屋だったりもする。
 
 これは決して最低な部屋ではなく、200円~400円レベルの安宿としては十分にポピュラーな部屋の間取りで、その値段なら 文句無しで即決出来る普通の部屋だ。

 しかしその部屋が倍の値段もすると、ちょっと考えてしまいさらに宿探しが長引いてしまったりする。

 どこ探したって同じような部屋で同じような値段なのに。
 

 大部屋にいくつものベッドが置いてあるドミトリーという1人1ベッドの宿泊施設を持つ宿もいくつかあるが、そのドミトリーがデリーの中では一番安くて手頃だろう。

 安いと言っても300円以上はする(他都市なら100円~300円)が、下手な部屋に泊るよりかは幾分マシだと思う。

 ただ、このドミトリーの最大の欠点はプライバシー皆無なとこだ。

 それはもう自分の部屋にカメラを設置し24時間インターネットで世界に向けて発信している程にプライバシー皆無だ。
 
 メリットと言えば、いろんな人達がいるので多々の有益な最新旅情報が簡単に手に入れられる事だろう。

 旅人にとってそれらの最新情報は時に身の危険を避けるのにも役に立つのだ。
 

 今回のデリー滞在はもう帰国するだけなんで、俺はドミトリーよりも部屋が欲しかった。

 お土産を買いこんだりパッキングを完璧にする為に荷物をドバッと広げたかったから。

 そんなだからラストにちょっと贅沢をしようとTV付き・ホットシャワー付きの部屋を選んだ。

 1泊800円の部屋だが広くもなく汚い。

 そこがやはりデリーらしい部屋だった。

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               この通りに面した食堂でアーユルヴェーダの伝道者と出会う

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            サイクルリキシャーという自転車タクシーの様なものだが、加減を知らぬ客
 

 帰国の前日の夜、屋台でフィッシュ・ティッカをお持ち帰りした、最後に魚でも喰おうかと。

 美味かったぁ。

 久しぶりの魚に舌鼓だった。
 

 武道とは。     礼に始まり、礼に終わる。

 インド道とは。  下痢に始まり、下痢に終わる。
 

 次の日、激しい嘔吐と噴出する水下痢にびっくりだ。
 
 もうしばらくインドに来ることもないだろう、今回のインド大陸1周でだいぶ満足したからな。

 気持ち的にも充足感でいっぱいだった。

 だから最後の日はインド料理をたんと味わい、チャイを飲んでインドを体に押し込んで日本へ帰ろうと思ってた。
 
 なのにオエッ。

 だのに下痢。
 
 為すすべもなく、インド滞在最後の貴重な午前中は薬を飲んで寝るという不毛な結果になってしまった。

 身体中全身がダルく、無理しても何も出来ないのだ。
 

 「 おい。 インド野郎。 お前がまだ俺にいてもらいたい気持ちは俺にも良く分かる。 なにしろ俺もまだまだ行きたいとこが次々と出てきたし、120%は満足したが500%満足するまでには至ってないからだ。 だがな。 インド野郎。 俺はあと9時間後にはヒコーキ乗って日本に帰るのだ。 残りたい気持ちはやまやまだが帰りたい気持ちの方が今はかなり強いのだよ。 だからよ。 インド野郎。 ・・・・そろそろ解放しておくれ。 」

 
 やっと引っ張り出した身体で何でもいいから喰わなければと消化に良さそうなワンタンスープをすすっていた時、そこに居合わせたインド人がアーユルヴェーダ(インド版漢方薬)の薬を紹介してくれた。

 吐き気止めの液体薬であるそれは超強力なキャベジン味である。
 
 そいつを胃に収め、さらにこれも強烈な錠剤・インドのゲリピタリを飲む。

 こいつは3日3晩出ずっぱりだった止まらぬ下痢を、たった1錠飲むだけで5分後には何事もなかったような状態にしてくれる悪魔の薬で、色はマサラを塗り固めたような原色の黄色いカレー色だ。

 

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              この国に交通ルールは存在しない 仮にもココは首都である

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             仕事帰りの象さんだって歩いてくる 首都なのに

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              面白くはないが 騒がしく刺激的ではある



 10月21日、夜9時前後。 
 

 窓から外を眺めると、真っ暗な景色の下方にSFじみた都市のオレンジの灯りが地上に張り巡らされている。


 インド亜大陸。
 

 今、こいつを飛び越えて俺は東へと向かう。
 

 悲しくなどないが、さみしくはある。
 

 朝陽の光りを目にする頃には、成田まで迎えに来てくれてるハニーと、無事に再会している事だろう。


 

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               日本一を誇りに思い郷愁する瞬間 安堵感&悲哀感


 ということで。

 ラスト旅日記にふさわしく、これまでの「インド道」を振り返りつつ、思い出話に感無量でやり遂げ達成して苦労でお疲れ様っ!!てな事でも書こうかと思いきや。

 そんなまとめやあとがきはホントの最後でいいやな。
  

 デリーはデリーだ。
 

                                           From Naokys!

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            ついに「 インド道 」終わりなんだってよ 本編でナオキーズ!帰国してたもん
  


 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。


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 『 インド道 31th 』


             「 -Dの意志- 」   2009年10月15日~10月18日


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               早朝4時になんか佇むインド人 なんかどこでもよく見る謎の光景


 もうそんなに街から街への移動もないんだしさぁ、最後の数回くらい楽なバス移動でいいじゃない?

 インディアぁぁぁ・・・・


 マナリーからさ、ダラムサラまでバスで12時間くらいって聞いてたのよ。

 早ければ10時間程で着くって。

 だからさ、夕刻18時発のダラムサラ経由ジャンムー行きのバスに乗ったんだよ。

 到着時間がなんだか朝早すぎることもないけどそれなりに早い、けどいっかと思ってさ・・・・


 シートも倒れない寝にくいローカルバスの中でうつらうつら寝てたら起こされた。


 「 ダラムサラー、ダラムサラー 」

 
 ・・・・ん?

 着いたんか、さて。


 ・・・・ん??

 ここどこだ?



 「 お前ダラムサラまでか? なら、ここで降りるんだ。 」



 バスを降り、 バックパック、 を、 受け、 取り、 暗闇の中、 立ち尽くす。

 バス、 走り去る・・・・


 目の前、真っ暗闇の中。

 高速道路の入り口、しか見えない。


 しかも、 午前、 2時、 ちょい、 過ぎ!?

 はぁ~!? 2時???


 ナニソレ リカイフノウ リカイフノウ リカイフノウ




 バスはカシミール方面にあるジャンムー行きのバスだった。

 ココがダラムサラだというソコで途中下車したのは、俺とドイツ人とインド人の3人だけだった。

 無造作に取り残された我ら3人、深夜の人気の無い幹線道路沿い。

 …何故か道路の傍らにスズキの乗り合いタクシーがエンジンを吹かしたままに1台だけ停まってる。 


 運転手は言った。

 「 ここからロウワー・ダラムサラのバス停まではフリーだ。 今お前らが乗ってきたバスとそういう契約を結んでいる。 しかしアッパー・ダラムサラまで行くのなら一人100ルピーが必要だ。 ちなみにロウワーからアッパー行きのバスの始発は6時半だ。 」
 

 ダラムサラ行きのチケットをマナリーで買った時安いと思ったんだよ。

 他より100ルピーも安かったんだ。

 ダラムサラには2つの町があって下界の方の町がロウワー・ダラムサラで一般的な市民の町。

 そこから10kmも離れ、標高も700m上がった山の上にある町がアッパー・ダラムサラ。

 いわゆるダライラマのおうちがあって世界中から観光客や仏教徒が訪れる町、通称マクロードガンジだ。


 バスのチケットを買った時、上と下のどっちに着くのか聞いたらロウワーだと言った。

 そこからバスに乗ってマクロードガンジまで行く手間がある分安いのだとその時は納得した。

 しかし、ロウワー・ダラムサラまでも辿り着けていないとは思いもしなかった。

 さらに驚きは、今が午前2時とはな・・・・



 ひとまず3人で乗合いタクシーに乗り込むと、インド人のおっさんは自宅付近まで走らせひとり降りた。

 俺とドイツ人はなすすべもなく一人100ルピーずつ払い、そのままマクロードガンジの安宿までタクシーを走らせた。
 

 なんだかんだでマクロードガンジに午前3時に到着だ。

 こんな時間なんで当然だが、戒厳令が敷かれたような静けさだ。

 乏しい電灯以外灯りは無く、シャッターの下りた店舗で埋め尽くされた町にひとっこひとりいないのは不気味ですらある。
 
 命あるものはさっきからこっちに睨みを利かせながらそこらを走り回っている野良犬共の群れだけだ。


 こんな状況だ、まぁ当然だろうな。

 安宿のドアをいくらノックしようが声を掛けようが誰も起きて来やしねえ。

 次の安宿も、その次のゲストハウスも、そのまた次のホテルも深い眠りに着いたまんまだよ。


 何軒回った?

 手当たり次第。

 

 1時間後の午前4時、10軒ほど回り2軒は従業員も顔出したのだが、「 フル 」の一言だ。

 無理っしょ? いまさら泊まんの。

 諦めてもうちょい朝まで待とうぜ?

 しかしドイツ人は言う。

 「 俺はものすごく眠い。 バスが一番後ろの席だったもんだからジャンピングしまくってて一睡も出来なかったんだ。 早く… ベッドで眠りたいんだ! 」

 と。



 よし、なるほど。

 じゃ、お前は探せ。

 俺は小一時間このシャッターの前で仮眠する。

 電気も煌々と点いてるし、こんな早くから何かの順番待ちをしてる謎のインド人も数人そこにいるし、群れに属さない孤高の野良犬が1匹、俺の隣で丸くなって眠ったからな。

 番犬付きだ、最早熟睡しても安全だろう。
 
 がんばれ、ドイツ人!

 またどっかで会うだろ。



 時が過ぎ、ようやく5時半。

 他の早朝組のバスも着いたのか、バックパックを背負った旅行者が何人も行ったり来たりしてる。

 みんな部屋探しに苦労しているようだった。

 そろそろ俺も動き出すか。

 うろうろしてると町が明らかに目覚め始めてきたので、最初からもう一度1軒1軒当たって行った。



 フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル フル ・・・・・・・・・・・・・・・・・



 7時20分・・・・ 

 ようやく1軒のゲストハウスにチェックインすることが出来た。

 部屋確保に何時間かかっとんねん。



 「 今日から4日間、ダライラマのティーチングがあります。 その後2日空けてまた4日間ダライラマのティーチングがあります。 だからでしょうね、どこのホテルも満室なのは。 」

 
 なるへそ。


 てか本気? 見れんの? 見れちゃうの14世!?

 今から行ったら会えんの!

 あのおっちゃんに!?

ダライラマ14世

                       愛すべき現世の平和主義者


 9時半から始まるなら寝てる場合じゃないでしょ。

 まさかに会えるとは思ってもみなかったし、謁見のスケジュールも知らなかったからなぁ。


 モシ ダラムサラ 二 イルトキ ニ ホウオウサン ソコ オッタラ マジ ラッキー アエタラ サラニ ラキー
 

 くらいにしか考えてなかったからな。

 忙しいお人だから世界中飛び回ってんだろうし、まさかここホームタウンにいるとは思わなかったんで急にテンション上がったよ、別に寝不足だからという訳じゃなく・・・・


 4日間、毎日午前の部は参加しました、ダライラマ・ティーチング。

 午後はダラムサラの町観光にあてて。

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               この建物の奥にあの方がおわしまする


 マクロードガンジにあるナムギャル寺というチベット寺院内でティーチングは行われます。

 ダライラマ14世は2階の本堂内にて教義を行います。

 そして謁見パスをあらかじめ取得してる人はその2階本堂内に入れ、本人を目の前にティーチングを受けることが出来るのです。

 それ以外の人は寺院の中庭のような広間に座り、TVの大画面を通じてティーチングを受ける事になります。

 俺は結局謁見パスはすでに遅しで取得出来ず。

 8日間分すべてソールドアウトだそうです。

 なのでずっと下の広間で大画面を眺めながらティーチングを聞いていました。

 ちなみにラジオを持っていると日本語同時通訳が聞けるのです!

 話は理解可能ですが、内容がいまいち難しく、おまけに周波数も合わせずらく・・・・

  ピィーーーー グルルルルッル ピィーー ピギャーーーー 全ての事象は空なので ピィー 

  ピャーーーァーー アァンニューーハセヨ ゴゴッブツン

 4日間、これが結構ストレスでした。

 10時には休憩を兼ねてバター茶が配られたり、お昼にはカレーが無料で配られたりと、おもてなしも最高です。

 敷地内で売っているランチパックも美味でした。
 
 しかしなによりダライラマの気さくさに親近感を感じずにはいられません。

 この人、必ず笑いを取るのです。

 言葉での笑いは元より、その行動によってもおふざけな態度で笑いを取るのです。

 言葉はどうも同時通訳のためタイムラグがありますが、ジェスチャーの方は見てればすぐ分かるので、万国万民一緒になって笑えるのです。

 4日間観てて思ったのは、ダライラマ14世はものすごい大家族の長で、それは夜叉孫が1000人近くもいるくらいの大家族の長なのではないか?

 という事でした。

 その親戚縁者一同が、お正月におじいちゃんの家に総出で遊びに来ているようです。

 子々孫々に囲まれながら、

 「 これじゃあ、おじいちゃんお年玉あげるだけで破産しちゃうよ~ 」

 とあの笑顔でニコニコしながら、うれしそうに言っているように聞こえるのでした。



 観音様の生まれ変わりであり生き仏、チベット仏教の頂点であり大国中国を相手に喧嘩する男、世界中を駆け巡り、誰にも毒されずに信じる教えを広めてく伝道者。


 顔とか立場しか知らないし、とにかく凄まじい人生をいまだに送っているノーベル平和賞の人。

 という認識しかなかったので、偉そうな疲れてそうな素っ気ない人かと思ってたらものすごいフレンドリーな柔和な好人物で大変好感を持ちました。

 尊敬や畏敬の念、年長者を慕うとかいう感情とは違う、ただ単純に

 「 あぁー。 俺、このおっちゃん好きだわ。 」

 と。


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               チベットを取り戻せ! と。

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               チベットの土産物屋が至る所に露店を出す

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               インドの中の特別地区 チベット若僧よ未来を掴め



 インド三大祭りのひとつに、「ディワリー」というラクシュミー神を祭るお祭りがある。

 商売繁盛などを願う、別名・光の祭り。

 それがマクロードガンジ滞在3日目に盛大に行われた。


 一大商店街&参道となっているこの町ではお店の軒先に灯明を灯し、ラクシュミーを讃えている。

 インド全国で行われる規模の相当に大きなお祭りだ。

 光の祭りと言えば静かな揺れる炎っぽく穏かなイメージで聞こえはいいが、チベット亡命政府がありチベタン率の高いこのダラムサラでさえ、ここはインドなのだと思わせる祭りだ。

 解釈がインド人らしいというか、インドはどこまでもインドだったと思わせたのがこの三大祭りの一つ・ディワリーだった。


 光・祭り=明るい=いっぱい明るい方がいい=派手な方が祭り=爆竹&花火


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              ホテルの部屋から望む町の中心広場


 俺の泊まってる宿は町のメインスクエアの真ん前。

 一番広くていちばん人が集まりイチバン注目度があるのがこのメインスクエア。

 夕方6時くらいから夜の11時過ぎまで、人がいようが車が通ろうがバイクが走ろうがパトカーが巡回に来ようが、ひっきりなしに破裂する爆竹、爆竹、爆竹ガール。

 小学生の子供から10代20代の若者まで、手に手にいくつものロケット花火を持ち、ダンボールに入った市販の30連発くらいの連続打ち上げ花火、重機関銃の連射用銃弾装を引っ張り出してきたような連龍爆竹、そこが老人ホームならショック死多数確実なかんしゃく玉、噴水のごとく炎を吹き上げる設置型の花火。

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                       さあ カオスを始めよう

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                とにかく火薬の量が120%日本の規格外

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               祭りという名がついてるが 軽いテロル

 1分の間も空かずそれらがメインスクエアで破裂し、爆音を立て、光と煙を大量流出させる。

 それをまた轟音がかき消し新たな火遊びが止まる事なくこうやって延々に繰り返されるのだ。

 もうみんな、チベタンも観光客もインド人も仏教僧もおかあちゃんもおこちゃまも犬ですら夢中だった。


 お祭りだけに許される特権、無礼講。



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                平気で2、3階建てのビルの高さを越える…

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               た~まや~~   からのぉ

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               爆音・爆発音!!  近い近い

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                こんなんが 延々続くのだ…


 こんな小さな町でこの規模なのだから、他のインドの町でのディワリーはいったいどうなってたんだろうと想像すると共に、あぁこの規模でこの町にいて助かったという安堵感も生まれていた。
 
 つーか、うるせーよ・・・・

 どれもこれも日本の規格外の火薬の量が入っているのは大きさと音を聞けば一目瞭然だ。


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     花火自体の大きさとしてはコンビニで売ってる打ち上げ花火と同じくらいなんだがな


 設置型の花火が横倒しに倒れた。

 その、花火があがる先端が俺とは反対方向を向いていたので安心していきさつを眺めていると、


 シュバッ!!


 と炎が出た途端、ロケットミサイルが発射されたように一瞬でこっちにめがけて筒ごと丸ごとすっ飛んできた。

 避ける間も無い。


 ドカン


 という音とともに、俺の2メートル横のレストランの今日のお奨めメニューが書かれた木製の看板の足部分が木っ端微塵になった。

 一瞬でその看板に目を向けたが、すでに火のついた看板の木片や花火の残り火が四方に飛び散り、その余波は爆風に乗って俺のところにまで及んだ。
 


 アッ、危ネエ・・・・


 俺自身は危機一髪で、それこそ看板以外に破損被害はなかったものの、戦闘中の生と死の分かれ道と言うのはこういう事なんだな、と妙に実感した瞬間だった。

 
 だがもちろん!

 無残な看板を見て当事者のインド人の若者も周囲の野次馬も全員大爆笑だ。


 一人として看板の心配も、誰も怪我しなくて良かっただのは考えない。

 いや、そう考えるより先に面白い出来事、という認識が全員一致=大爆笑につながった。


 そしてその後、少しでも猶予があれば先の心配もするのだろうが、そうこうしてる内に次々と花火は高々くけたたましい音を立てて夜の街を明るく変えると、みんなもうそっちに夢中になっているのであった。

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               いつでも逃げる準備は必要だ

 全ての事柄において絶対に日本人はインド人には勝てないのだな、と確信した。


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              チベット語のなんまいだ 「オムマニペメフム」


 ダラムサラ、ダライラマ、ディワリー。
 

 俺の今旅 「 インド道 」 最後の来訪地は、インドにありながらインドとはまた違った雰囲気を感じるチベット亡命政府の町・ダラムサラとなった。

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                   街中チベタン寺院 

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               チベットと言えば↑ 回せば回すほどありがたい

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               見た目はチベット 中身はインドな ダラムサラ
 

 この町で少しチベタン料理でも食べつつ、東洋人の顔を見慣れつつ、すぐそこにある帰国に際し良きリハビリの地となるだろうと思ってやってきた。

 そこでゆっくり旅の回想でもしようかと。


 だがそこに待ち受けてたのは・・・・

 気さくな活力聖人・ダライラマ14世。
   

 そしてやる事成す事インド思考の光の祭り・・・・

 ハッピーディワリー。


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               インドに退屈な街などナッシング

 

 もう5ヶ月もこのインド亜大陸をくまなく歩き回って来てるのに、最後の最後まで全く飽きさせる事がない。

 こんなにいるのにまだ初めて目にする出来事があるのか、お前は。

 どんだけ引き出しが多いんだか、懐がでかいんだか。


 それともな、

 元々が空っぽだから”生む”事しか出来ないのだろうか。



 ブラックホールの抜けた先がインドだとしたら、別に何の不思議も無い、納得のゆく話ではある。


                                               From Naokys!

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          「あと数回でインド道終了みたいよ!」 「ふん、あたしゃ信じないよ!!」  


                                                 

 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。


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 『 インド道 30th 』



         「 レッツ・ヴァシスト 」 2009年9月24日~10月14日


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 早朝5時半。


 まだ仄暗い下界は吐く息も白い静かな冷気を纏い、寝呆けた身体を覚醒させる。

 顔を上げた目の前にはヒマラヤ山系の頂がわずかだが白く染まっているのが見える。

 空はようやく闇から淡青へと変わったところだ。



 ここはヒマーチャル・プラディシュ州・オールドマナリータウン。

 標高1900mのインド大陸北方の地、ヒマラヤ山脈やチベット高原がすぐそこにある谷あいの街にやってきた。


 バックパックを背負いゆっくりと歩を進める。

 左手にビアーズ川を眺め、V字谷に沿う車道をカシュミール方面へ緩やかに坂が上る。

 今、歩いて向かっている先はマナリーから3km程先にある村、その名もヴァシストだ。


 ようやく朝陽が出てきたのだろうか、眼前に聳える白雪の頂が太陽に晒され、山頂付近から順にオレンジ色の光を輝かせる神秘的な朝景色を贈ってくれている。

 路肩に無造作に生い茂る雑草の3割は大麻草という驚くべき光景に戦慄を覚えたが、雄花・雌花を咲かせ茂っているのを見ると、この辺りでは大自然の中のただの雑草に過ぎないという認識なのだろう。


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 避暑地シムラーから9時間かけてバスが着いたマナリーの朝はまだ早く、そのままリキシャーに乗り早々ヴァシスト村に着いたとしても、こんな朝早く宿など到底開いてないだろうからと思い、村まで2、3km程度ならゆっくり歩くか、と歩み始めたのだ。

 だがそれは無謀であった。

 まったく持って上り坂しかなく、ヴァシスト村に上がって行く道を全荷物担いで上がるには、俺は幾分歳を取り過ぎていた。
 

 がんばった。

 ただただ美しい朝の景色だけを見つめ、歩いているという行為を思い出さないようにして進む。

 1時間と少しの、最早トレッキングと呼べる疲労感を感じたがどうにか踏破しヴァシスト村に到着した。

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 ヴァシストは、硫黄泉が山腹から湧き出す温泉の村として、つとに有名である。
 
 しかしチベットに近いとは言えここもインド。

 温泉はヒンドゥー寺院の一端として奉られている。

 そのヒンドゥー寺院の中に、男湯・女湯が完備されていて、朝5時半頃から夜の9時近くまで誰でも自由に入浴を楽しむことが出来るのだ。

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 テンプル温泉は四方を石垣で囲んではあるが、屋根が無いのでとても開放感がある露天風呂。

 石壁は苔むし隙間からは雑草が所々に生えている。

 東側の壁には神様の祠があり、そこから硫黄泉が流れ込んでいるのだ。

 それはアンコールワットとかにありそうな遺跡の雰囲気で、侵食され忘れ去られた遺跡の中の温泉に浸かっているかのようで気分が良い。


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 もう一つ、温泉寺院のすぐ上にアウトドアな温泉がある。

 ここは小さな銭湯のようになっているのだが、白い柵で囲われているだけなので周りからは丸見え。

 子供以外全裸禁止で、男湯専用だ。

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 はっきり言うと温泉のお湯は汚い。

 湯の花だろうと思われる白い浮遊物が大半だが、それ以外にも苔だとかの自然のものから、石鹸カスやら垢やら髪の毛やらの人工物までが自由に浮き沈みしている。

 湯は腰辺りまであるのだが、足元が見えない。

 そしてなるべくそれらを見ないよう、気づかないようにしていた。

 初日は、この湯に入るのか!? この液体の中に浸かるのか!? と何度も躊躇したが、疲れと辿り着いた安堵感で早く温泉に浸りたかった俺は意を決して足を滑り込ませた。

 
 めたくそ熱い。

 皮膚がぴりぴりする熱さだ。

 5分入ったら全身火傷をするのではないだろうかと勘ぐるほど熱かったのだ。


 それも仕方のない事だろう。

 今回の旅においてホットシャワーは何度か宿で浴びたが、それにしても4ヶ月ぶりになる湯船に浸かる熱い風呂なのだ。


 お湯に肩まで浸かる感覚を久しぶりに思い出し、お湯の熱さも久しぶりに思い出した。


 好きな時に好きなだけ、気が済むまでお好きにどうぞ。



 贅沢にも朝はアウトドア温泉で絶景の山々を眺めながらの入浴後、そのままテンプル温泉に移り今度は遺跡の雰囲気が漂うなんとも神秘的な湯に浸かる。

 1日遊んだら夕方か夜にテンプル温泉に再度浸かる。

 まだ明るければ頭上には青空が見られ、陽が沈んだ後は頭上に星が瞬いている。

 全く贅沢な事に、朝晩と1日2回通っていた温泉もそのうち1日1回になり、さらに贅沢な事に、面倒臭いからという理由で温泉へ行かない日まで出てくる始末だ。


 だがやはり日本人の血が温泉を求めてるのだろうか、それはとても気持ちの良いものに他ならないのだ。


 湯が熱いので長くは入らない。

 ちょっと浸かって一旦外で体を冷やす。

 そして冷えすぎないうちにまた湯に体を滑り込ませる。

 これを何度も繰り返し1時間くらい。

 のぼせる身体は体温を増し血液の巡りが良くなるのが分かる。

 その巡りは脳みそをも刺激し、時には立ちくらみをも起こすがそれがまた良い。

 ほてった身体が落ち着くまでボーっと遠くのヒマラヤ山系の山を見つめてたり、白い雲が頭上を通過するのを只々じっと見てる。

 何もせず、何も考えず、何にも囚われる事なくじっと次のお湯に浸かるまでの時を潰す。

 時にそれは時を超えることすらある。
 
 湯に浸かれば浸かったで、とてもシャンティな心持ちになり、喋らずとも湯仲間と同じ気持ちなのが理解出来る。

 幸福感に満たされ、波立たない湯面のように気持ちがとても静かになる。

 これほどまでに落ち着く気持ちに自分もなれるのか!と驚嘆すらする。


 その一方で、すべての事柄はどうでも良くなっている。

 のぼせる前に一度湯から上がりクールダウンだ。


 ヴァシストの硫黄泉、やはり最高だ。


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 近郊にパールバティ・ヴァレーというマナリーのような谷あいの村々が点在する場所があり、そこの温泉が恐らくインドで一番最高だという事だ。

 なので今度またこの地を訪ねることがあるのであれば、カソールからひとつずつ村攻め温泉攻めをしていきたい。



 ヴァシストでは思わぬ再会を何人とも果たした。

 俺のインド道での過程を経てプリー、コルカタ、デリー、ポカラで出会っていた日本人達。

 日本人はやはり温泉好きが多いのだろうか、ヴァシストには結構日本人がいたのだ。


 いつも誰かの部屋が溜まり場になっていて、みなで飽きることなく遊んでいる。

 あっという間に時間が過ぎ行き、気が付くとまた一日が終わっている。

 それは子供時代のように延々と続く時間を弄んでいるようだった。

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 ヴァシストの崖の途中にあるマンゴーツリーハウスと言う名の宿まで2回も登った。

 ここからの景色の良さは一見の価値があるが、辿り着くまでは苦難の道だった。

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 一番最初にバスで降りた街、ニューマナリーへは買い物をしに2度下りた。

 街の便利さと物の豊富さにありがたみを感じる。

 ローカル食堂もふんだんにあり、飯に飽きることも無い。


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 ヴァシスト村から30分程歩いた先にある滝にも行って来た。

 全然楽勝で辿り着き、水が冷たく綺麗で誰もいない滝はとても居心地の良い場所だった。

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 インドの季節は今、冬に変わろうとしている。


 日に日に気温が下がっていくのが感じられ、ヒマラヤ山系の頂にも確実に雪が降り積もりその面積を広げているのが見て取れる。

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 ヴァシスト村でのオンシーズンも終わりに近づき、旅人も一人、また一人と次の旅路へと下山して行った。


 そろそろ俺も潮時だろか。

 20泊21日。

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 3週間のヴァシストでのゆるかった日々に別れを告げ、再度始まる旅路の先へ進もう。
 
 すでに帰国も見え、「 インド道 」も残りわずかだが、まだ進むべき道がある限り先へ進もう。


 次の目的地はチベット亡命政府のある町・ダラムシャラー。

 
 陽の暮れるバスの車窓からは冬の山並みがシルエットになって映る。

 リクライニング式のシートに寄りかかり、まだ滞在していたいという気持ちを無理矢理に断ち切り、気持ちの転換を図る。
 

 
 今旅一番の沈没地・ヴァシスト。



 ここでの日々も、出会った仲間も決して忘れはしないだろう。

 そうさ、合言葉はいつだって 「 レッツ・ヴァシスト 」 だ。


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 暗闇に包まれた山間の山道を、ナオキーズ!を乗せたおんぼろバスは車体をきしませ西へ西へと走り去って往くのであった。

                                      From Naokys!



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             おい、あそこに来週の「インド道」の告知があるぞ! 待ちきれん!! 



※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。



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 『 インド道 29th 』

 
  「 乗り物マニア&乗車オタク ~スベテノモノニノッテミタイ 」  2009年9月20日~9月23日

 
 
 お待たせ致しました、インド版ローカルバスで移動が好きな酔狂な皆々様方。

 今回はリシュケシュより237km離れたカルカーというローカルな町まで約8時間半、3回乗り継いで行って参りました、私ローカルバス移動マニアの、嫌いだ嫌だと言いつつも気付くと乗ってるおんぼろバス、ナオキーズ!で御座います。 


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               ローカル寝台バス 窓ガラス上部がベットスペースになっている
 

 さて、今回。

 ルートも良く分からず、どうやって移動して行くのかも良く分からなかったので、途中の街で1泊かとも思いましたが、思いのほかとんとん拍子に事は進み、旅特有のなんとかなるだろう。という言葉通り、何とかなってしまい順調に1日で目的地まで行くことが出来ました。

 やったね!!
 
 
 まずはリシュケシュからウッタラーンチャル州の州都・デラデゥーンまでの約1時間。
 
 山道を軽く進み、着いたバスターミナルが南インドのような立派なバスターミナルで驚きました。 

 
 そしてデラデゥーンからチャンディーガルまでの約5時間。
 
 デラデゥーンからすぐにヒマーチャル・プラディッシュ州に入ります。

 野生動物保護区の森になり、生き物の気配はするのですが、路肩で日向ぼっこしている猿の集団しかいませんでした。

 岩山は大理石の採掘場になっているのか大理石屋さんが何軒も連なります。

 そして大麻草の雑草群が無造作に道路端に咲き乱れておりました。


 あぁ、ヒマーチャル。

 さぁさ、ヒマーチャル。

 ニンともカンともですな。
 

 その野生動物保護区の森を抜けると、平野が広がりハリヤーナ州です。

 ユーカリの木が街路樹となってその向こうには水田が広々と広がります。

 そしてユーカリに負けじと防風林のように背の高い大麻草の雑草群が砂埃や排気ガスから我等の米を全身を真っ白に埃まみれにしながら守っていました。
 

 辺りがすっかり暗くなった頃、チャンディーガルの街に入ります。

 この街は一つの街なのですが、ハリヤーナ州とパンジャービ州の二つの州の州都を兼ねている連邦直轄領なのです。

 セクター毎に区画されていて街は碁盤の目のようにくっきりしています。

 そこに、緑や住宅街が静かに建ち並んでいるのです。

 走っている車はインドとは思えないほどみな小奇麗で、交差点ごとに信号があります。

 驚愕したのは信号が赤になると片側三車線の道路に、車がきちんと三台づつ列も乱さずに並んでいるのです。


 もちろん交差点に警察官がいないにも係わらずです。

 信号無視もありえません・・・・


 この街で違和感がある車はまさにいま我々が乗っているおんぼろバスの方なのです。

 クラクションをやたら鳴らしているのも我等がおんぼろバスだけなのです。
 
 なにか日本の都市に突然迷い込んできてしまった錯覚に心臓がドキドキし、帰国前のリハビリの必要性を考えるほどに緊張感を強いられました。
 

 それ以外にも不可解なのは、この街にゴミが落ちていないのです。

 まさかそんな馬鹿な?と思い、何度も道端に落ちていないかゴミを探してしまうくらい落ちてないのです。

 これは夜で暗く外が見えづらいからだと思いたいです。

 牛もまったく見ませんでしたし。


 バスターミナルに着くと、ここも立派な新しい雰囲気のバスターミナルでした。

 で、やはりゴミが見当たりません。

 もしや!?と思い当たりゴミ箱を除いてみると、中にはゴミがたくさん詰まってます。

 まさかこの街に住むインド人はゴミをゴミ箱に捨てるということを知っているのか・・・・?

 その事実に鳥肌の立つ戦慄を感じました。

 
 ここにはインド亜大陸に存在する多様性や、それらを一つに飲み込んだ混沌というものがどこにも見当たらないのです。


 すべてが均一で一定でフラットな雰囲気を街から感じるのです。
 
 もしかしたらこの街で実は何かしらの実験を行っているのかも知れません。

 セクター毎に各州の人間を集めて観察しているのではないか?

 同じ教育を施し、同じ食物を与え、どこの人種が政府に楯突き易いか、どのような生活習慣が害を及ぼすか。

 そして、それによって投与する薬の量を変えコントロールし易いように人種改良を行っているのではないだろうか?

 ここに住む人間に個がなく、ただ与えられた安心の中で日々それなりの暮らしを営み、自由を謳歌している、と思わされてるだけなのではないか? 

 と車窓からチャンディーガルの住人を見た時に感じていました。 

 
 そんなチャンディーガルだったのですが、バスターミナルで次の目的地・カルカー行きのバスはどこかね?と尋ねると、みながそれぞれ違う事や適当な事言い出します。

 いつもなら、はぁ~、またか。 この嘘つき土人共が!

 と怒りに血が上るのですが、この時ばかりは心底ホッとしたのです。

 あぁ、良かったぁ。 こんな不可思議な街でも住んでるのは普通のインド人だったぁって。 
 

 最後はカルカーまでの約1時間半。
 
 もう、夜だしいつ着いてもいいや、なんて思ってましたが、乗り降り激しい路線バスで、おもくそ混んでるうえに30kmほどの距離を1時間半もの時間がかかったのには、ちょいげんなりした次第であります。 

 
 到着した街・カルカーは西部劇の舞台になった事があるのでは?と思わせる程砂塵の吹く町。

 まだ夜の9時半なのに商店街のシャッターは軒並み閉まってて、それでいて歩いてる人が多い。
 

 フッフッフ、実はこの町の駅にこそ、俺は用があるのだよ。 
 
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               レトロな外観が心躍らせる 待望の電車 

 さあさあ、お待たせ致しました!!

 全国のインド登山鉄道マニアの諸君達!!!
 

 7つ海を制覇して5つの大陸征服し、朝と夜2つの顔を持つ空をも手中に収めたナオキーズ!今回の野望、4つあるインド登山鉄道完全乗車。
 
 惜しくも前回のマーテーラーン丘陵鉄道こそ雨季の為に運行しておらず泣く泣く諦めるしかなかったのだが、今回は乗ってきました5時間半。
 
 3つ目のインド登山鉄道、カルカー・シムラー登山鉄道に!! 
 

 これにてラスト登山鉄道です。
 
 当日券で乗れるのだが、それを得るのにもうなんちゅーか、寝る暇がなかった。
 
 夜10時頃に駅の窓口にて明日の鉄道に乗りたいと告げると、乗車券の販売は午前3時からだと。
 
 確かに、朝の便は4:00発-5:30発-6:00発の三便と、どれもが早朝だ。

 そしてどれも5時間程度で終着駅シムラー駅に着く。
 
 この三便も実は乗る時間によってクラスが分かれており、値段もバラバラだそう。

 これはあとから気付いた事なのだが、まぁどれに乗ってもそうは変わらないのがインド登山鉄道の現状だ。 
 

 そんな早くからの販売なら、今夜は宿を取らずにこのまま駅で寝て待っていようと決める。

 しかもうまい事職員に取り入り、日付が変わった12時に切符を売ってくれることとなり、4:00発の登山鉄道の切符を楽々と入手だ。
 
 この便はゼネラルというクラスで、いわゆる一番安い全席自由席。

 ちなみに全行程97km、乗車時間5時間半もかかるのに値段は日本円にしてたったの32円。

 この極端に安いってのもインド登山鉄道に共通する実情だ。 
 

 真夜中12時頃、すでにホームに停まっていた列車内にはびっくりするほどインド人が寝ていた。
 
 これがゼネラルの恐ろしい所で、切符を持って発車時刻20分前に行ったとしても、時間が有り余ってるインド人はおもくそ早くから自分の席を確保してしまうので、俺ら旅行者が気軽に席取っぴなんて出来るはずがないのである。
 
 この時も自分の席を確保しつつ、寝る席もキープという贅沢な方法をなんとか勝ち得ることが出来たのは出発時刻の4時間前に駅にいたからに他ならない。

 もし宿なんかに悠々と泊まってて、3時頃に切符買ってホームで待ってて、さて乗車!なんて余裕は無かったのだ。
 
 いや、でもラッキーだね!

 席も確保出来て、仮に寝坊してもそのまま列車は走ってくれる訳だし。 
 
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               こいつらいったいいつから乗車してたんだろうか・・・・


 そんなカルカー・シムラー登山鉄道。

 当然の事ながら外はまだ真っ暗で、車窓からの景色なんてあったもんじゃなかったです。
 
 丸一日の長いバス移動のあと、すぐに駅来て切符とってと割りと大変だった上に3時間くらいしか寝てないのです。
 
 乗車時間の約半分の時間は睡眠時間となっており、あまり記憶に残るような素敵な思い出は… 残念ながらありませんでした。 

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               山の麓の町・カルカーから いざ、出発ーーー!!
 

 ディーゼル車ががんばって8両編成を引っ張って山を登っていく。

 とにかく、カーブがやたらと多い。

 トンネルもやたらと多い。

 そのトンネルの一つは1148mもある長いトンネル。

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                駅からすぐトンネルとか!


 世界遺産の暫定リストに載ってるだけなのに、もう世界遺産気分で各駅に必ずユニセフ印の説明が書いてある碑が設置してある。
 
 速度は今まで一番早いかも。

 日本の私鉄の急行列車が各駅しか停まらない駅を通過していく時くらいの速度。

 馬力もあるからアップダウンの速度の違いも無い。 

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                インドの車窓から  速くてとても感心した
 
 とにかく山の中。

 当然、上がるたびに寒くなり、そして天気も良い方ではなく、雲の中に突入する感じで霧雨の中を走り、時折雲海が下方に見えたり、太陽が顔を出したり、一瞬青空が垣間見れたりと、そりゃもう山の天気は変わり易いといったそのままの天候。

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                標高がぐんぐんあがるのが登山鉄道の醍醐味
 
 
 気がつくと山の斜面に町があったりはするが、これまでに見た事のある景色ばかりで目を見張るよりも瞼が下がる事の方が多かった。
 
 もう登山鉄道、お腹一杯だったな。

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                たまに明るくなるが 基本的にこの日は曇りより

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               山の中の駅は霧ぎみで小雨
 
 
 そしてシムラー駅到着。

 標高2206m。

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                ディーゼル君 おつかれさまでした
 
 
 30分バックパックを背負ったまま宿探しで歩いても、汗ひとつかかない気持ちの良い気候です。

 眺めもよく道を歩いてても見晴らしがいいところばかりです。
 
 坂道が多いから息切れはしますが、ゆっくり歩く速度もまた気持ちがいいのです。

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              斜面に町が形成されている インド避暑地のひとつの特徴

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               歩いての町移動は肺活量を試される所業 
 

 イギリスが支配してた頃の夏の首都・シムラー。

 避暑地として有名なこの地は、まさにその通りな雰囲気でした。

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               メイン広場は観光客でいっぱい

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               世界中から訪れている。  はず・・・・

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                 メインだけは なんでも揃っている  まさに観光スポット

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               油断するとボロが目立つのがインドの良いところですなぁ


 ホテルの従業員とか俺にまで「サー」を必ずつけます。
 
 部屋からの窓越しの夕陽はとてもきれいで見惚れてしまう程でした。
 
 そんなシムラーですが、わずか一泊でもう後にします。

 少し心残りのほうがまた来たくなるものですから。 

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                ずーと、眺めていたい避暑地の夕焼けオレンジ景色

 

 それでは今夜、早速夜行バスで旅立ちます。

 次こそようやく、北方山岳方面のメイン目的地・マナリーに辿り着けるようです。
 
 
                                            From Naokys!


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          今週もおもしろかったわね~、奥様! まったくあと1週間も待ちきれないわぁ
 
 

 ※2009年5月20日から2009年10月22日までの五カ月間にわたった抱腹絶倒な大天竺一周の旅、あの名作【 インド道 】シリーズがリメイクされ、ナオキーズ!旅ブログ 『 ぶらっと、旅る。 』にて蘇る。



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プロフィール

ナオキーズ!

はじめまして!             
 旅好き、アジア好き、遺跡好き、神社仏閣好き、大道芸好き、パフォーマンス好き、民族音楽好き、倍音好き。

 人生どうにかなりそう!アジア人を見てそう思い、楽観的・わがままになってゆる~い人生、テンションあげて生きてます。

 あぁ、もう残り半分。 旅に出ねば。 

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