全国のオーパーツを愛してやまない少年少女の皆さん、こんにちわーーー!
・・・・・・・・・
はいっ。 え~、今回お届け致しますのは、世界百不思議の中で80番目から95番目くらいにランクインしているであろうジャール平原の石壺群 in ラオス を実況を交えてお伝えしていきたいと思います。
全くなんの事やら理解不能、何それ遺跡? はぁ? 何、何、って方は「ジャール平原」「石壺」「ラオス」でググってウィキって調べてみて下さい!
それも面倒くさい方はこのまま読み進めて、なんとなく雰囲気だけでも感じて頂けたら幸いです。
それではご覧下さい!
ラオス北部シェンクワーン県の県庁所在地・ポーンサワン。 首都ビエンチヤンより北へおよそ400㎞程離れた、標高1000mを越える場所にある。
この街を起点としてジャール平原へと向かう。
そのジャール平原に、大きな石壺がゴロゴロと無造作に転がっているのだ。
骨壷説、酒樽説、米貯蔵説などが囁かれてはいるが真意の程はまだ実際はまだ分からない、謎の、石の、壺、なのだ。
中国カブでいざ出陣
街中から国道1号線に入り10キロ程走ると最初の目的地サイト1に到着だ。
いよいよ石壺とご対面か!
この丘の上になにやらオーパーツが
出たー! 想像してたよりもデカイ!!
この地はベトナム戦争の時代、ホーチミンルートとして活躍していた為にアメリカ軍によって完膚なきまでに空爆され、大量のクラスター爆弾が投下された。
その時の爆破跡や不発弾がいまだに残っており、不発弾に至っては全てを取り除けるはずもなく毎年何人かが悲しい事に犠牲になってしまっている。
当然、石壺の被害も相当だ。
ボムクレーター 石壺のすぐそばにある
今でこそ草が生えていて言われなきゃ大きな窪みとしか見えないが、知ってて見るとなると相当な深さの地面のえぐれ具合に恐怖を感じてしまう。
古代の人に代わって怒る俺
爆風でドミノ倒し 3点
不発弾があって危なくないのか?と思っていたが、不発弾処理組織が日夜頑張って活動しているおかげで、確認済みの印の中の決まった道を歩いていれば大丈夫だ。
その目印は15㎝四方の四角いコンクリートで、通っていい道の両側に埋めてあり、それぞれの内側半分が白く塗られている。
なので歩くときはそれに沿って歩くのだが、等間隔でもなく、一個しかなかったり、雑草に埋もれて見えないとか、割りとアバウトだ… 獣道のように人が通ってる道が分かるからいいようなものを。
この白線より外は何が起きても不思議ではない
サイト1は全部で331石壺ある!
戦争の傷痕も衝撃だったが、石壺の衝撃もデカかった。
しゃがめば壺の中に大人でも余裕で入れる予想以上の大きさ、質量と存在感、分布の範囲も広く、思い描いたよりはるかにおおっぴろげ。
これは米貯蔵壺なんかじゃないな。 本当は蓋もちゃんとあるんだけど、いちいちあんな重たい蓋を開けたり閉めたり簡単に出来るハズもない。
そして次はサイト1から13㎞離れたサイト2へと移動したが、これがハードな道のりだった。
ここから未舗装 でもまだ平ら
すぐにダートに変わった… スピードが出せない
到着 サイト2は小高い丘の上
蓋、発見 マンホールみたい
樹木の生命力は石をも貫く!
サイト2は割りと小振りで数も少ないが、ものすごい景色の良い場所にある。
観光客もいないし、遺跡独り占め。 遺跡マニアには至福の時。
これが酒樽ならここで呑む酒はさぞ旨かろうと思う。 が、ここにしかないなら酒樽と断言してもいいが、ジャール平原一帯に散在しているとなるとどうだろうと思う。
そんな疑問を胸にサイト3に向けて、またダートへと戻る。
ジャール平原は赤土の為にレンガ造りが盛んな土地で、こんもりした丘をどんどん切り崩し空気も乾燥してるから埃が絶えない。
未舗装ダートも御多分に漏れず埃っぽく前に車がいようものなら砂煙で前方が見えなくなる。
身体中が砂の粒子だらけ
サイト2からサイト3までは8㎞程だが一番埃まみれになった。
入り口からサイト3の場所まで歩いて400m。
手作りの橋を渡り、収穫の終えた田んぼの畦道を進み、少しの丘を登って行くと柵に囲まれたサイト3が出現する。
公園のようだなと残念に感じたが、その柵の外に出れるのは罰ゲームの時だけと思い出した。
整然と並ぶ石壺たち
壺の中は雨水が溜まり熟成され緑酒に
呑んだらいきなり力持ちに ドランクモンキー3
まだまだ広いエリアにたくさんのサイトがあるのだが、今回の調査はここまで。
小高い丘の上に集中して置かれている。
( 崇められているようだ )
グループごとの固まりになっている。
( 家系ごとか )
蓋は閉めたらもう開けなくて良い。
( 腰やっちゃうから )
…実はすでに副葬品やら遺骨やらがいくつか発掘されていて、紀元前からこの辺りが埋葬地として成り立っていたことも分かってきているそうだ。
うん、もう結論は出たな。
この謎の石壺は死者を葬った後に献杯するための酒樽だったんだな。
めでたし、めでたし。
よしっ!
この調子であと99個のオーパーツの謎も解き明かしてくぜ。
少年少女の皆さん、これからも応援よろしく!!
2014/12/14 From naokys! in LAO
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はいっ。 え~、今回お届け致しますのは、世界百不思議の中で80番目から95番目くらいにランクインしているであろうジャール平原の石壺群 in ラオス を実況を交えてお伝えしていきたいと思います。
全くなんの事やら理解不能、何それ遺跡? はぁ? 何、何、って方は「ジャール平原」「石壺」「ラオス」でググってウィキって調べてみて下さい!
それも面倒くさい方はこのまま読み進めて、なんとなく雰囲気だけでも感じて頂けたら幸いです。
それではご覧下さい!
ラオス北部シェンクワーン県の県庁所在地・ポーンサワン。 首都ビエンチヤンより北へおよそ400㎞程離れた、標高1000mを越える場所にある。
この街を起点としてジャール平原へと向かう。
そのジャール平原に、大きな石壺がゴロゴロと無造作に転がっているのだ。
骨壷説、酒樽説、米貯蔵説などが囁かれてはいるが真意の程はまだ実際はまだ分からない、謎の、石の、壺、なのだ。
中国カブでいざ出陣
街中から国道1号線に入り10キロ程走ると最初の目的地サイト1に到着だ。
いよいよ石壺とご対面か!
この丘の上になにやらオーパーツが
出たー! 想像してたよりもデカイ!!
この地はベトナム戦争の時代、ホーチミンルートとして活躍していた為にアメリカ軍によって完膚なきまでに空爆され、大量のクラスター爆弾が投下された。
その時の爆破跡や不発弾がいまだに残っており、不発弾に至っては全てを取り除けるはずもなく毎年何人かが悲しい事に犠牲になってしまっている。
当然、石壺の被害も相当だ。
ボムクレーター 石壺のすぐそばにある
今でこそ草が生えていて言われなきゃ大きな窪みとしか見えないが、知ってて見るとなると相当な深さの地面のえぐれ具合に恐怖を感じてしまう。
古代の人に代わって怒る俺
爆風でドミノ倒し 3点
不発弾があって危なくないのか?と思っていたが、不発弾処理組織が日夜頑張って活動しているおかげで、確認済みの印の中の決まった道を歩いていれば大丈夫だ。
その目印は15㎝四方の四角いコンクリートで、通っていい道の両側に埋めてあり、それぞれの内側半分が白く塗られている。
なので歩くときはそれに沿って歩くのだが、等間隔でもなく、一個しかなかったり、雑草に埋もれて見えないとか、割りとアバウトだ… 獣道のように人が通ってる道が分かるからいいようなものを。
この白線より外は何が起きても不思議ではない
サイト1は全部で331石壺ある!
戦争の傷痕も衝撃だったが、石壺の衝撃もデカかった。
しゃがめば壺の中に大人でも余裕で入れる予想以上の大きさ、質量と存在感、分布の範囲も広く、思い描いたよりはるかにおおっぴろげ。
これは米貯蔵壺なんかじゃないな。 本当は蓋もちゃんとあるんだけど、いちいちあんな重たい蓋を開けたり閉めたり簡単に出来るハズもない。
そして次はサイト1から13㎞離れたサイト2へと移動したが、これがハードな道のりだった。
ここから未舗装 でもまだ平ら
すぐにダートに変わった… スピードが出せない
到着 サイト2は小高い丘の上
蓋、発見 マンホールみたい
樹木の生命力は石をも貫く!
サイト2は割りと小振りで数も少ないが、ものすごい景色の良い場所にある。
観光客もいないし、遺跡独り占め。 遺跡マニアには至福の時。
これが酒樽ならここで呑む酒はさぞ旨かろうと思う。 が、ここにしかないなら酒樽と断言してもいいが、ジャール平原一帯に散在しているとなるとどうだろうと思う。
そんな疑問を胸にサイト3に向けて、またダートへと戻る。
ジャール平原は赤土の為にレンガ造りが盛んな土地で、こんもりした丘をどんどん切り崩し空気も乾燥してるから埃が絶えない。
未舗装ダートも御多分に漏れず埃っぽく前に車がいようものなら砂煙で前方が見えなくなる。
身体中が砂の粒子だらけ
サイト2からサイト3までは8㎞程だが一番埃まみれになった。
入り口からサイト3の場所まで歩いて400m。
手作りの橋を渡り、収穫の終えた田んぼの畦道を進み、少しの丘を登って行くと柵に囲まれたサイト3が出現する。
公園のようだなと残念に感じたが、その柵の外に出れるのは罰ゲームの時だけと思い出した。
整然と並ぶ石壺たち
壺の中は雨水が溜まり熟成され緑酒に
呑んだらいきなり力持ちに ドランクモンキー3
まだまだ広いエリアにたくさんのサイトがあるのだが、今回の調査はここまで。
小高い丘の上に集中して置かれている。
( 崇められているようだ )
グループごとの固まりになっている。
( 家系ごとか )
蓋は閉めたらもう開けなくて良い。
( 腰やっちゃうから )
…実はすでに副葬品やら遺骨やらがいくつか発掘されていて、紀元前からこの辺りが埋葬地として成り立っていたことも分かってきているそうだ。
うん、もう結論は出たな。
この謎の石壺は死者を葬った後に献杯するための酒樽だったんだな。
めでたし、めでたし。
よしっ!
この調子であと99個のオーパーツの謎も解き明かしてくぜ。
少年少女の皆さん、これからも応援よろしく!!
2014/12/14 From naokys! in LAO
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